泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「ボランティアの意味論」を通じて見えてくるもの

「ボランティア」の誕生と終焉 ?〈贈与のパラドックス〉の知識社会学?

「ボランティア」の誕生と終焉 ?〈贈与のパラドックス〉の知識社会学?

 書名の「終焉」が意味するところは人々による「ボランティアの意味論」の終わりであるのだが、本書はその意味論の歴史を戦前から90年代に至るまで整序して見せたことで、「意味論『研究』」にも終止符を打ったのだろうと思う。もうこれから「ボランティアとは何か?」という議論を積極的にやろうとする研究者はしばらく出ないかもしれない。東日本大震災を契機にいくらかの議論が生起したとしても、この本を一読すれば、すべて既視感のある話にしかならない。
 一読しただけなので、全容をきれいにまとめられる自信はないけれど、「一方的な贈与」に向けられる批判をボランティアの意味論がどのように回避・解決してきたのか、という問いを立てることで、雑多な「ボランティア」言説を時代ごとの変化として整理できている。理論的にはルーマンからの影響が色濃い。といって、厳密にルーマン理論にこだわった分析を行なおうとしたわけでもない。「コード/プログラム」とか「脱パラドックス化」とか、使いやすいところを使った印象はあるけれど、おかげで自分のような低レベルの社会学好きにはわかりやすい。著者は教育学研究科であったようだし、お師匠さんは歴史研究を得意とする教育社会学者だと思うので、過度に理論社会学的な議論に陥らずに済んでいるように思える(博士論文の一部をかなり圧縮したりしているようなので、元の論文がどんなものなのかはわからないけれど)。
 「ボランティア」がタイトルに含まれているので、書店で見かけても多くの人は「関心外」として手に取らないかもしれない。知識社会学とか歴史社会学とか言説分析とか、そのあたりの方法論に興味がある人が中心的な読者になるかもしれない。副題に「知識社会学」と入っているので、書店では社会学の棚に並べられるかもしれない。しかし、これは社会福祉学の研究者に(できれば現場の人々にも)読んでもらいたいと思う。
 ボランティアの意味論を追究するにあたって、著者は「贈与」をキーワードに置いた。また、「贈与」が問題化しないための基準として社会の民主化のための要件(国家に対する社会の自律と国家による社会権の保障)を設定して、分析を進めていく。その過程では、もちろん「ボランティア」という言表に注目が集められるが、「贈与」の問題は「社会福祉」や「支援」とも密接であり、時代をさかのぼったとき、とりわけその傾向は顕著にもなる。戦前から戦後しばらくまでの間に出てくるボランティア言説の担い手は「社会福祉学」でおなじみの名前ばかりであり、それぞれの「ボランティア観」とともに「社会福祉観」が垣間見えるものだ。ボランティア言説を通じて、この国の社会福祉言説史も浮かび上がってくることに、他者を「支援」することの本源的な課題が見え、近年「下火」が叫ばれて久しい社会福祉原論研究への方法論的なインプリケーションも得られるだろう。
 6600円税込6930円の本を現場の支援者が買うとは思えないが、社会福祉学研究者は読むべきでは。社会福祉(学・言説)への二次的なまなざしの成果として三島亜紀子本(『社会福祉学の〈科学性〉』)と並べて置きたい一冊。これから書評もどんどん出てくるだろうが、社会福祉学会の評価がどんなものかに期待しておきたい。