泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

休日のアパートにて

 休日をとれたが、予想通りに早々と目は覚めた。以前はこんなことなかったのに。仕事の嫌な夢を見てしまい、二度寝もできない。そのまま起床。
 休む間にもあらゆる状況はどんどん悪くなる。現状維持ではない。刻一刻と悪化していく。何も改善されない。この数年で何が良い方向に変わっただろう。伸び続ける労働時間、増え続ける仕事、増えないし増やそうともされない人手。仕事はますます属人化、職人芸化していく。そして、深刻なコミュニケーション不全に自分の求心力の無さ、自分への不信感が拍車をかける。
 本質的な問題が解決されないことのおそろしさと、大した仕事のできていない後ろめたさから、自分にできることをやろうとして、自分の労働時間もどんどん伸びる。カップ焼きそばとコンビニおにぎりの夕食とって寝るだけ。悪循環。
 「精一杯やっている自分が大好き」とか「精一杯やったのに、うまくいかなかったとすれば、それは自分の問題ではない」と思える人はまだ強さが保てると思う。自己否定傾向の強い人間が120%まで頑張っている状況は危ない。綱渡りの精神状態である。これまで何度も経験してきたことなのに、また同じパターンに落ちこんでいく。
 気がつけば14時半。残りの休みの過ごし方もわからない。あまり遠出すると疲れるが、ずっと家にいるのもあまり精神によくない。たぶん近場に食事と買い物に出るが、近場はどこに行っても、利用者・家族・ヘルパーが頻出。自宅の最寄駅から法人事務所は徒歩1分。当事者はいつでも当事者であることから離れられないのであり、自分も支援者であることから逃げまいと思うが、これはどのように考えていくべきなのか。