泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 昨夜、苦しいことがあり、急降下。
 今日、ガイドの仕事だけこなして、夜、実践の師匠のところへ。
 弱り切った自分を決して追い立てることなく、温かく受け止めてくださる。具体的な助言もたくさんいただく。彼ご自身が闘病中であるのに。
 法人設立から9年目。先行きの不透明な組織ができ、スタッフの生活条件も変わり、オーバーワークは言うに及ばず、自分への批判が強まる中で、精神を病んでしまい、壁を乗り越えねばという気力体力が湧いてこない。快復してがんばりはじめると、また叩かれて、つぶれる。いま、救いがどこにも見出せずにいる。
 子どもの直接支援の力量が高いわけでもなく、事務処理が得意なわけでもなく、経営手腕があるわけでもなく、理念を語るぐらいしかできない自分をそれでいいと肯定してくれるのは師匠ぐらいである。違う組織にいるがゆえかもしれない。それでもありがたい。
 精神の不調と「今年が正念場」という思いが重なり、追い詰められる自分に「もっと長い時間で考えたらいい」「協力できるところは協力する」と話してくれることに救われる。金のこと、人のこと、場所のこと、山積した難題に対して「どうするつもりなんだ」と問われるばかりでいるのは苦しい。今は具体的な助言や助力が支えになる。それが現実的であろうともなかろうとも。
 仕事に戻れば、またどんどん落ち込んでいくわけではあるのだが。帰りにコンビニで酒を買ってみた。自分は基本的に下戸である。どうすべきかで悩んでいる。