泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

今どきの新入生

 支援学校生の新入生を歓迎する集まりを、地元の親の会といっしょに催す。今年の新入生は3人。ほとんどが幼児のころから、自分たちの活動と関わりがもてていた子である。みんな父親とかきょうだいとか一家総出でやってきた。親も子も三者三様。
 もはや大多数の地域でこんな企画は成立しないだろうなあ、と思う。この近隣の「親の会」はほとんど壊れてしまった。学校からの求めもあるから形だけは残っているが、参加率はどんどん下がり、活動らしい活動なんて本当に少ない。
 福祉サービス事業所は中途半端に乱立してきて、ひとつの事業所で十分な支援が受けられないとわかれば、他の事業所とも契約を交わして、なんてことが珍しくなくなってきた。保育所や幼稚園や通園施設、児童デイなどでは満たされず、幼児期からサービス利用が自然になりつつある子ども(保護者)たち。「福祉サービス利用」というのが、いったいどのような感覚であるのか、想像するのは難しい。もしかしたら民間の習い事や学習塾を選ぶのに似たような感覚であるのだろうか。
 その一方、どれだけ福祉サービスを使ったとしても、家庭で、学校で、次々と課題は出てくる。機能別に分けられたサービスでできることなんて、限られたことでしかない。「個」対「事業所」の関係は、単線的で、脆いものでもある(厚みのある支援を提供できている事業所をくさすつもりは全くないが)。「親の会」とか「地域密着型NPO」を過度に持ち上げるつもりはないけれど、まだまだ期待される役割は大きい。
 今回の企画準備にたずさわった保護者は「すごく楽しい」「ずっと担当をやっていたい」などと言える人である。ただ、そんな保護者ばかりではない。そこで自分たちは「関わりたくない人は関わらないでいい」と言ってよいのかどうか。相談支援やサービス事業所とつながっていさえすれば、それ以外のことなんて「余計なお世話」なのか。事後的に振り返ってみて「余計なお世話」に救われた、なんて経験はよくあるわけで。
 保護者が別の保護者の声を代弁して事業所に何かを訴えてきたりすることに、自分は少しほっとしたりするのだけれど。そういうことも減っていくのだろうか。