泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「ついでに」する支援を叩く人たち

被災地にエールを送る為にmixiで400人401脚を計画中痛いニュース
http://hamusoku.com/archives/4434171.html
そのブックマークコメント
http://b.hatena.ne.jp/entry?mode=more&url=http%3A%2F%2Fhamusoku.com%2Farchives%2F4434171.html
 要するに、みんな「学生たちが被災にかこつけてくだらないイベントをやろうとしている」と騒いで盛り上がっているわけである。たぶん元記事もほとんど読まずに。
「400人401脚」ギネス挑戦、被災地にエール 関西の学生産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110407/edc11040708350000-n1.htm
 企画を思い立ったは今年のはじめだって書いてあるし、この記事から読み取れる「被災地にエール」らしきものは「会場に募金箱を置く予定」だけである。被災地のために企画したように読み取れる部分はどこにもない。主催者が、記者からの取材の中で被災や募金のことをどの程度強調したのかはわからないが、学生の間の記念としてギネス記録を出して盛り上がることが一番の目的であるのは記事の範囲でも十分明らかであろう。そのこと自体は誰かから批判される性質のものでもなんでもない。記事の最後にある企画者のサイトを見に行くと、イギリスからギネスの記録認定員を60万出して呼んで、会場費に35万なのだそうな。無料シャトルバスを出すとかも書いてあるし、参加費を募金しろというのも無理な話だ。
 こんな見出しをつけた産経も悪いのだが、それをさらに誇張して叩くのはもっとたちが悪い。ある種の支援が「偽善」だの「売名」だの「自己満足」だのと批判されるのはよくあるが、支援の意図すら大して見えないものを「自己満足」扱いして責めるのは、もっと悪質である。これからイベントなどをしようとするたびに「震災に対して何ができるのか」が社会の側から問われ、それに何らかの回答をするたびに「被災地への貢献のあり方」として妥当かどうかについてチェックを受けるとしたら、何かの「ついでに」被災地のためになることもしよう、という動きは抑制されていくだろう。それは誰のためにもならないのではないか。
 言いたいことがある人は「学生らしい何か面白いこと」を考えた結果が当初「ハンバーガー千個パーティー」で、最終的に「400人401脚」であるという発想力に対してのみ、とやかく言えばいいのである。