泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

殴らせない支援者教育

体罰知的障害者施設の通所者、殴られ負傷 県が立ち入り調査−−松戸 /千葉
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20110308ddlk12040106000c.html

同園などによると、昨年12月17日、通所者約10人が牛乳パックから和紙を作る作業をしていたところ、20代の男性通所者が別の通所者に手を上げるいざこざがあった。仲裁に入った30代の男性職員が男性通所者に対し、別室で「急にこんなことをされたらびっくりするだろう」と言って頭をげんこつで殴り、打撲傷を負わせたという。男性職員は園に「痛みを理解させるために殴った」などと説明していた。

 行政からの監査(実地指導)は、どうも「いま事業所を厳しくチェックしておきたい事項」のトレンドみたいなものがあるようなのだけれど、1月に受けた監査では「虐待防止策をちゃんとやっているか?」をしつこく聞かれた。
 担当者は「たとえば研修とか」と説明していたが、たぶんそこで想定されている研修とは「虐待はいけない」という内容なんじゃないかと思う。「痛みを理解させるために殴った」人に、人間の尊厳を説いて、問題解決に至るものなんだろうか(「殴らない」ようにはなるかもしれないけど)。
 ここは知識と技術だよなあ、と思いつつ、社会福祉系の大学教育では知的障害や自閉症の人への具体的な支援技術について教わる時間なんてわずかだし(障害者福祉論の中の数コマぐらい?)、介護福祉士もヘルパーも基本的に高齢者支援ベースのカリキュラムだし(そのくせ事業者の従業者要件としては障害分野でもやたらと重宝される)、現任訓練でゼロから膨大な時間を課されると現場は苦しいし、仕事はじめるまでに学べる場を作らなきゃいけないんだろうけれど、それがどこでのどんな機会であるのかは不明。結局、現場からの運動で教育システムの中にねじこんでいくべきなのか。先が長そうで、ため息。