泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

寄付をすることであなたも伊達直人になれる?

 群馬の児童相談所前に大量のランドセルが積まれていたのは、昨年のクリスマスの朝であった。差出人は伊達直人
 2件目は年明けだった。1月5日。今度は神奈川の児童相談所前にランドセルが置かれた。いっしょに残されていたという手紙にはじめて「タイガーマスク運動」という言葉が登場する。
 お正月をはさみ、多くの人は昨年のクリスマスにあった出来事なんて忘れかけていただろう。この2件目の「タイガーマスク」が決定的にこの後の流れを作ったと言える。最初の「フォロワー」の重要性。
 3〜5件目は1月7日である。多様化がはじまる。
 長野では児童相談所宛てではあるが、ランドセルは宅配便で届けられた。送り主は手紙で「遅れてきたサンタクロース」と名乗った。「私にも小学1年生になる子供がいます。同じ気持ちで楽しい入学式を迎えましょう」「世の中に私と同じ志の方がいらして共感します」などとも書かれていたそうである。
 静岡では児童養護施設に封筒で現金が届いた。こちらは「伊達直人」。同封された手紙には「テレビでランドセル贈答のお話を見て、このような事が大勢の人に広がればと思い私も参加した次第です」と書かれていたらしい。
 同日夜には沖縄の児童養護施設にランドセル。新入生の人数を事前に電話で確認の上、バイクの男性が届けて走り去った。声をかけた職員に渡された手紙には「新一年生になる君達へ贈ります。君達の事を心から愛する者より ガンバレ 伊達直人」のメッセージ。
 それから、数日が経ち、43都道府県にまで「運動」は拡大。同じ県内の複数の施設に届いている場合もあるし、同じ施設に複数件の寄付・寄贈があったケースもあるようなので、件数にしたら111件だそうである(これらの数字は先ほどTVニュースで言っていた)。送り届けられるものも多様化しているし、送り主も桃太郎やら肝っ玉母さんやらムスカまで広がっている。市役所に図書券が届けられたケースなどもあるようだ。
 当初は断片的にニュースに接しながら、内心で「ランドセルが一番必要かどうかは確認しなきゃわからんだろうに」「金が無いのは児童養護施設だけでもないだろう」と寄付・寄贈者の善意を冷めた目で見てしまっていた自分であった。ところが、1件ずつの内容を細かく見ていくと、どうやらそれほど単純ではなさそうであることがわかる。少なくない人たちが、寄贈した物の「使われ方」にも配慮している様子がうかがえる。
 こうした状況を斜にかまえて見る必要はなく、ひとまずは「誰かのために何かしたいが、きっかけがないとできない人たち」がたくさんいる、と理解すればいいのだと思う。ただ、これほどまでに「匿名寄付願望」のようなものをもつ人がたくさんいるのだとしたら、この国の「寄付文化」を醸成したいと考えている人たちは、次に何を考えたらいいのだろうか。
 この運動を受けて、喜んでいる養護施設関係者の様子が伝えられても、児童福祉への社会的分配を強化しろ、ということには世間的になっていない。だからといって、寄付者に「税金の使途がよくわからないから、こっちのほうがいい」とかいう気持ちがあるのかと言われると、そういうのともちょっと違うんじゃないだろうか。もっと直観的に動いている気がする。
 寄付は商品への上乗せだとかネットでのクリックを通じたものに変わってきている気もしていたけれど、「タイガーマスク」になりたいというのは独特の動機づけが加わっているように思えてならない。物語性があると寄付も促されやすい、ということだろうか。「寄付を通じて、あなたも伊達直人になれます」みたいな。あるいは「照れ」を隠すために、物語性が必要ということか。「もらう側の盛り上がり」みたいなものも透けて見えやすいだろう。そういう意味では純粋な意味で「匿名」と言えるのかどうかも微妙なところである。最初の2人がタイガーマスクの名前を使わなかったら、ここまでの流れはできなかったんじゃないかとも思える。
 そんなわけで、社会運動とか寄付文化とかとからめて、いろいろと興味深い話である。最後に付け加えておくと、せっかくなので、そろそろ報道は「児童養護施設」とか「児童相談所」の現況について触れることもしてほしい。「そういう施設の中で暮らす子どもの生活費ってどうなってるのか?」とかみんな知らないと思うし。