泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

相談支援と責任

 休日。朝から大学に行って、退学したら読めなくなりそうな論文をひたすらコピー。書庫の閉館までに1200枚ぐらいコピーして、ふらふらになって仕事場へ。事務仕事やら法人サイトの更新やら子どもたち用にお絵かき(何せ中学生時代は漫画研究会にいたぐらいなので、絵カードなど必要になるとすぐ頼まれる)やらして帰宅。疲れた・・・。
 今日は、いつも読んでいるブログとかメーリングリストとか、あちらこちらで相談支援の話題が続いている。
 詰まるところ、どんな相談支援の制度ができたとしても「『やる人』はちゃんとやるし、『やらない人』は全然やらない」のだろうし(介護保険のようにしてしまうならば、特定の部分はやるようになるかもしれないけど)、もちろん支援者が「社会福祉士」であろうがなかろうが、そんなことも関係ない。
 うちの法人は他法人の相談支援部門と事務所を共有(正確には「間借り」)しており、「やる人」の仕事ぶりは知っている。とにかく多忙である。介護保険のケアマネよりもずっと複雑で多岐に渡る仕事をしている。
 以前は(地域によっては今でも)地域に巨大な社会福祉法人がどーんとひとつあって、「○○町の障害者福祉といえば社会福祉法人△△」と言える時代があったわけだ(そのことの良し悪しはひとまずおいておく)。その頃は、ここまで相談支援に負荷がかからなかっただろうと思う。今となっては地域の中に事業者が複数できて、それぞれに行政や利用者との信頼関係もまちまちであり、実施する事業もばらばら、地域に対する責任意識もあったりなかったりする中で、利用者―事業者間あるいは事業者―事業者間さらには行政―事業者間まで、お互いについて十分な情報をもっておらず、不安があると安易に相談支援を頼っていく(これについては自分も自戒せねばならない)。そこに、社会資源の不足が加わり、「資源開発」の必要が言われる。
 ここで「ひとまずおいといた」話に戻ると、地域の中で社会資源の選択が(多くの場合、きわめて低い水準とはいえ)可能になったことと引き換えに、どこの誰がその地域の人々の生活に対して最後まで責任をもつのか、が不明瞭になったように思える。少なくともこのあたりの地域では、少しでも「お客さん」を確保しようとする事業所の無責任な対象エリア拡大が混乱を深めている(会議に出てこないとか、あるいは、十分な情報をもたないぶん、やたらと会議を開いてもらいたがるとか)。
 では、昔に引き返すのがよいのか、と聞かれれば、そうも思わない。昔だって「最後まで責任をもとうとする」ところばかりじゃなかったのだから。もし十分な金が入ってくるならなんでもやるようになる、だろうか。たとえそうだったとしても、「選べない」というのは、利用する側にとって大きなリスクである。
 せめて、社会資源どうしのネットワークが深まっていて、明確な役割と責任の分担のもとに、ひとつの目指すべき地域像に向かっていく未来図が描けているのであれば、少しは相談支援の負担も軽減できる。しかし、現実はそうなっていない。そのような機会すらないし、協調を嫌う事業所もある。それぞれの事業所が、経営上のさまざまな利害を垣間見せながら、やりたいことをやるばかりである。計画的な資源整備が進まない限り、本来ならば地域の資源状況に最も責任をもつべき行政以上に、相談支援は「最後の砦」役を担うべく期待されてしまう。
 ばーんと全ての支援において報酬をあげて、多様な事業所が楽に安定経営しながら共存できるようになれば、どうか。個々の事業者が「必要な支援ならば、必ずやる」ぐらいになれば、相談支援の機能はもっと限定的になれるかもしれない。
 しかし、それはいまの政治的動向を見ていても、現実的にイメージできない。結局、どこかに手厚くなれば、どこかは手薄になるのだろう。そして、報酬や資格要件のいびつなバランスからますます偏った資源状況が生まれていくことになる。どこにどんな代償が求められるのか。自分は最近、その不安に毎日脅えながら、最悪のシナリオに備えることばかり考えさせられている。