泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

作られる「研究動向」

 深夜の腹痛に悶え中。12時間何も食べずに帰宅して、カップ麺大盛は体に悪い。
 社会福祉学会誌が届いていたので、ざーっと論題など確認。
 知っている名前が多い。結局、大学院在籍中に1本も学会誌に論文を載せることはできないまま今月退学なので、妙に「置いていかれた」感がある。まあ、そもそも1本しか投稿してないけど。もう辞めるのだし、以下は最近の学会について、ややぶっちゃけた感想。
 学会誌の傾向としては(ここ最近、まともに読んでいないが)、「理論」は規範理論的な研究が多く、それ以外はとにかく実証研究。そして「歴史」。自分の知る範囲でもじわじわと「歴史」研究への転向は増えている気がする。
 これらを「研究動向」すなわち最近の社会福祉研究者たちの主要な関心や方法の流れとして理解することはできなくもないけれど、むしろこれは「査読の動向」に導かれたものなんじゃないかと思う。
 ソーシャルワークの「理論」として汎用性の高いものを提案しようとしても、それが文献研究に基づいたり、演繹的に導かれたものであれば、今は「エビデンス」の名のもとに一蹴されるだろう。仮説を提起するような研究は、学会誌に載らない。発見よりも正当化重視。
 ところで、今から振り返れば「エビデンス」に基づくとは言いがたいソーシャルワーク理論が大学等で長らく教えられてきた、と言えてしまうわけだけれど、こういう状況になった今、大学では「ソーシャルワーク」理論として何が教えられているのだろう。古くからある理論を「エビデンス」との関連で評価しようとする動きを知らない。それはもちろん「大御所」たちを評価することから逃れられないだろうから、相当な覚悟がいるに違いないが。
 閑話休題。さらに社会福祉学というとんでもなく広大でおぼろげな研究領域がどんどん細分化していく中で、実証研究は査読がしやすいだろうと思う。当該テーマについての一定の知識さえあれば、あとは「方法」「手続き」に集中できる。これが社会福祉学ではあまり参照されたことがないような隣接分野の研究成果をふんだんに取り入れた理論研究であったら、そうはいかない。査読の結果、よくわからないものを掲載して、もし間違っていたら大変だ。すると「落とせる」理由を探したくなるだろう。厳密な手続きを経た実証研究と比べたら、文献中心の理論研究のほうがはるかにそれを見つけやすい。
 こうした中で、地道に文献を読みながら「発見」したことを研究成果として示そうとすれば、規範理論や歴史研究はもってこいである。統計も質的研究も避けて通れる。かつ、それがどう社会福祉にとって役立つのか、の説明もしやすい。「正しい」研究方法についての合意もまだ緩やかだ。
 結論。「学会」としてのシステムが整備されるほど、個々の研究者の関心とは無関係に「研究動向」が生み出されうる。しかし、それは研究者の関心を招いた(あるいは招かなくなった)事柄を示すもののように理解され、流布される。もし研究者による当初の問題意識が社会的状況とリンクしていたとしても、学会としての研究動向が本当に社会的な問題の大きさを反映しているかどうかは、大いに疑わしい(特に「論文」に関しては、だけど)。