泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

忘れる力

 しばしば自閉症の人自身が主張することに「マイナスの記憶が忘れられない」というのがある。
 これがかなり自分にもあてはまる。
 ときどき人から「この仕事をしていて、よかったと思うことは何ですか?」と聞かれる。
 こういうとき、質問する人は具体的なエピソードを求めているに違いない。その期待に応えたいと思う。
 しかし、全く思い浮かばない。
 たぶんすぐに忘れるのである。結果として、形になって残っている「事業がちょっとずつ拡大してこられた」こととかを答えることになる。なんてインタビューのし甲斐のない、つまんない奴であろうか。
 つらかったエピソードはいくらでも出てくるのだ。利用者家族からお叱りを受けたとか、学童の指導員から理不尽なこと言われたとか、行政職員から逆ギレされたとか、街なかで利用者の行動に住民から苦情を言われたとか。その場面をリアルに映像化できる自信があるぐらいに、つらい体験がはっきりと思い出される。仕事に限らず、子ども時代からの人生すべてを通しても、おんなじ。
 昨日は、とてもうれしい事とややうれしい事とすごくつらい事があったのだけれど、今の今まで強烈に残っているのは、やっぱりつらい事だけである。相手の攻撃的な文面や言葉が朝から晩まで頭の中で何度でも反復される。おかげで、心身の消耗が大きい。
 昨日とてもうれしかった事は、法人設立以来「こういう人たちに向けて伝えたいことがたくさんある」と思っていたターゲットに向けて、会心の講演ができたことだったはずなのだが、そんな喜びも自信も既に薄れつつあるのだった。今後の活力源とすべきことなのに、もったいない。
 寝れない。この脳が恨めしい。