泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

未来に向けての総括(6)

 前回のつづき。せっかく紹介していただいているのに、とみたさんのペースに全く追いつけない…。
 以前にも少し書いたように支援費制度の導入以前は、事業所が選べる状況なんてなかったから、自治体と特定の法人(多くは社会福祉法人)の間で地域の障害者福祉のあり方は論じられるしかなかったと思う。あとはボランティアグループや当事者組織がどのぐらい交えてもらえるかどうか。いずれにせよ、公費を投入した社会資源の創出ということになると行政−社会福祉法人の信頼関係は強かった。
 支援費がはじまり、地域によっては居宅系を中心としてサービスが増えた。児童に関しては、圧倒的に日帰り短期入所とガイドヘルプであったと思うが、それでも増えた(施設訓練等支援とかグループホームとかは…、この近隣ではあまり変わらなかった)。都市部では一部でまさに「競争」があったという話も聞いたし、自立支援法に替わっても新規の事業所は増え続けている(このあたりの地域では)。どこかの組織を飛び出したような人が立ちあげるようなケースが多いので、何が設立インセンティブになっているのかははっきりしないけれど、とにかく増えてはいる。
 支援費制度において市町村は「支援体制の整備に努めるべし」ということになっていた。しかし、この意味するところはよくわからない。事業者の指定は都道府県が行うのだし、せいぜい資源のない地域の自治体が事業所に「やってくれませんか」とお願いするぐらいではないか。今になって思えば、この頃から自治体が特定の事業所とのみ強い信頼関係を結べる根拠は「ある側面においては」無くなっていったのではないかと思う。規制緩和というのは、まさにそういうことだろう。
 支援費以降、成人の方の通所に関連する社会資源の構図はどのぐらい変わっただろうか。地域差はあるが、この近隣では居宅系サービスほどには変わっていない。学齢期に使えるサービスは(昔よりは)増えたのに、卒業後の行き先は全く増えない。地元自治体内では行き先がなく、近隣の市町村にかろうじて行き先が見つかっているような状況が続いている(都市部などではまた違った状況もあるようだが)。「在宅」が出るか出ないか、のぎりぎりの線である。養護学校は「在宅」を出したくないようなのでかなりあちこちの作業所に頭を下げているが、それで「わかりました」となるなら苦労はない。
 多くの通所施設は自立支援法で減収となり、特に重度の方の受け入れに消極的なところが増えた。全国的に見ればプラスになったところもあるようだが、障害程度区分の決定も自治体によって差があるようだし、単純に「重度の人の支援をがんばっていれば、増収」とはなっていないように思う。ケアホームはもっとひどい。通所を運営していて、家族の高齢化が進む中でも、作れないままでいる法人は多い。近隣では、ケアホームを作れないままでいる法人から「作れる法人」に大量移籍、なんてことも起きた。
 自立支援法になり、自治体ごとに「自立支援協議会」ができてくる。圏域単位でもできた。協議会内に「就労」の部会もできたりして、不足する資源について議論するチャンスはできたわけだ。それでも、何の状況も変わらなかった。いくら「協議」したって、金がないものはないのである。みんなでため息をついて終わるだけ。ちなみに、このあたりでは「児童」の部会が立ち上がる予定にされながら、いまだに実現しない。いつになることやら。
 サービスを利用する範囲が、ひとつの自治体におさまらないのは生活圏というものを考えれば自然なことである。その意味で言えば、圏域の協議会というのは悪いアイディアであるとは思わない。ただ、市町村の単位よりも資源整備への責任はぼやけたと思う。うちの自治体内に無くても、隣の自治体にあればいい、という発想を強めてしまったのではないか。
 各自治体で内容を柔軟にしやすい地域生活支援事業への補助金も少ないし、多くの場合に自治体間の横並び意識も強いし、金のない市町村が地元の人びとの生活を守ろうと知恵を絞るための動機づけは与えられなかったように思う。続く。