泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

未来に向けての総括(5)

 前回の続き。
 支援費制度は、開始して1年目で100億円以上の赤字を出して、早々と制度設計の稚拙さを示した。2003年4月からはじまった制度は、同年の年末にとんでもない報酬単価案を提示してきた。「移動支援」の狙い打ちだった。
 危機感を感じた自分は障害福祉系のMLで問題提起などしたが、何ら反応がなかった。ホームヘルプの上限設定や相談支援事業の一般財源化のときには一丸となっていた障害者福祉業界だったが、知的障害の地域生活支援を中心にやっている事業所は運動においてマイノリティであった。自分にとっては、「知的障害者の地域生活支援」が障害者福祉の内部で切り捨てられようとしているかのように思えた。同じ志をもつ仲間を探した。そして、ネット上の某掲示板で同じような立場におかれている事業所とつながることができた。そこでは、知的障害者の地域生活支援を中心としている比較的小規模な事業所(うちほど小さなところは無かったけれど)が情報交換して、連帯をはじめていたのである。
 新単価案に基づいて、それらの事業所が試算をしたところ、収入が30%減ぐらいになった。障害が重いとされる人を支援したとき(実態を見ると適切な表現ではなかったろうが、制度上はいわゆる「身体介護を伴う」移動介護というやつ)の報酬単価をうんと下げようという案だったから、うちは50%以上の減だった。そうした数字は集められて、国に届けられた。官僚は予想外の結果だったことを認め、結果として下げ幅はずいぶん小さくなった。ただし、その後も報酬単価は下がり続けた。
 やや余談になるが、厚生労働省はずいぶん「赤字をカバーするのに、省内で金をかきあつめるのが大変だった」というようなことを言っていた。昨今の補正予算見直しで話題になった「無駄な予算」の金額の大きさを見ていると、いったいあれは何だったんだろうと思わざるをえない。当時と今では政治情勢も全く違うのだし、これ以上の愚痴はやめておく。
 一方で、国には「儲かってしょうがない障害福祉事業者」の話が届いていた。移動介護の狙い撃ちは、そのような事業者の儲けすぎを抑えようとする意図があったことも、次第にわかってきた。実際のところ、一部にそのような事業者があることは、事実でもあった。立ちあげてすぐにいきなり年商1億とか、納税額が数千万とかいう景気のいいエピソードも聞かれた。できたばかりの自法人の実績がいくら少ないとはいえ、どうしてこれほどまでに差がでるのだろうと思っていた。近隣で知的障害の地域生活支援をやっているところの状況を見ても相変わらず経営は苦しそうだったし、稼げている事業所との間に決定的な違いがあるのだろうと思った。
 実証ができたわけでもないが、知り得た情報を総合すると、提供しているサービスの種類や利用者の障害種別によって、経営には大きな差が出ることがわかってきた。
 知的障害をもつ人々の多くは昼間どこかに通所(通学)している。通所施設を運営していない事業所にとってみれば、通所(通学)している時間帯以外に支援を必要とする利用者(あるいはどこにも通所していない利用者)をどのぐらい確保できるかどうか、がカギとなる。通所を運営しておらず、かつそのような利用者が一定の人数見つからないと、事業所として独立して採算をとるのは非常に難しい。また、その利用が同一の時間帯に集中してもヘルパーを効率的に動かすことができず、収益は上がりにくい。
 この点で、知的障害をもつ人の支援に特化しているところは不利である。ほとんどの支援が夕方と週末に集中する。支援費制度が開始されて、知的障害の方がホームヘルプサービスを活用する事例も多少増えてはいたが(こんな本も出たりしたし)、田舎でそれが実現するのはかなり特別な事情が求められる。そして、その支援も結局は夕方の1時間とか2時間程度で終わり、学齢児の支援と時間帯も重なりやすい。そのためにヘルパーを雇って時給を払ったら、ほとんど家事援助なので稼ぎにもならない。
 地域の中に、身体障害や精神障害の方で、日中や夜間に支援が必要な人が数名いて、そこに長時間の支援を行えるかどうかというのは、「経営上」とても大きい。この業界で仕事している人ならば、「そんな人はどこの地域にだって潜在的はたくさんいるのだから、お前のところが『掘り起こし』の努力を怠っているだけ」と言われるかもしれないが、都市部と比べて田舎の支給決定がどれだけ限られたものであるか、重度の身体障害の方が自立生活をしようとするときに都市と田舎でどっちのほうが暮らしやすいか、を想像していただきたい。自分の知る限り、この自治体内でホームヘルプの支給決定を受けた人なんて片手でおさまるぐらい。日常生活支援の支給決定については、支援費制度の間に1件も聞くことがなかった。おそらく現行の重度訪問介護も含めて、利用は全くないと思われる。
 支援費が破たんした後、『地域生活支援事業所ガイドブック』という書籍が出た。副題は「小規模からでも目指せる多機能・多角な経営戦略」。内容は、多様な支援を展開しながら組織を大きくしていくことを推奨するものだった。コムスンが崩壊したときに、居宅介護部門の赤字が話題になり、大企業であってさえも多角的な事業展開を行わなければ経営は難しいことが明らかになった。介護保険自立支援法は経営の多角化が求められる設計になっているし、支援費制度下の地域生活支援も既にそのような状況だったように思う。
 あえて、国はそうしているのだろうか? 報酬単価をコントロールすることで、数の少ない資源を増やしたり、数が増えすぎた資源の増加を抑える。それだったら「グループホーム」「ケアホーム」は今のような厳しい報酬設定になっていないだろうし、そこまで考えつくされたようには思えない。介護保険のことはよくわかっていないが、報酬の面でもサービス体系の面でも引きずられる傾向はあったのだろう。全体として、非常にいびつな報酬のバランスになってしまった。
 そして、そのような設計は「赤字でも必要な支援を行うために、黒字を出せる事業を行う事業所」と「黒字事業しか行わない事業所」の混在を招く。営利企業までもが参入してくる規制緩和はこれに追い打ちをかけたかもしれないが、実は社会福祉法人NPO法人でもいっしょである。儲かることしかやらないところはたくさんある。結果的に、「赤字でも必要な支援」に疲弊した法人がだんだんと「黒字だが緊急度は高くない」支援に手を回せなくなり、そこを「黒字事業しか行わない事業所」が拾っていくという悲惨な事態が生じてくる。これは、単なる経営上の問題では済まない弊害を生むことにもなるのだが、その話はまた次にする。「地域」の支援を面として行っていくには何が必要なのか、という話へとつながっていくだろう。たぶん。
 なんだか金の話ばかりでうんざりしたので、今日はこれでおしまい。つづく。 →つづき