泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

未来に向けての総括(4)

 前回の続き。
 支援費制度が開始されて、需要の急増にサービス供給が追いつかなかったのはなぜだろうか。今回はものすごく細かい話になる。でも、こうした細かい話が利用者や事業者のありようを左右するので、避けて通れない。
 需要の急増といっても、すでに触れてきたように知的障害分野においては移動介護や日帰り短期入所の制度の枠内にとどめられる話であった。その枠におさまらないニーズについては使えるものがなく、子どもや家族の生活困難の解決はほとんどが両制度の中で行われるしかなかった。
 日帰り短期入所は特定の場所で行われるものだから、その場が飽和状態になってしまえば、事業所はサービス供給に消極的になったり、抑制をかけはじめたりする。場所としてどれだけ良い「物件」を確保できるのかは、地域ごとにかなりばらつきがあるだろうが、どんな事業所だって、20人30人の子どもを1ヵ所で過ごさせることは難しい。10人が過ごせるようにするだけでも、かなりの広さが必要だろう。身動きがとりにくいような狭いスペースにたくさん押し込むのは、いくら需要に応えていても、子ども本位のやり方とは言えない。
 一方で、使う側にとってみると、日帰り短期入所というのは非常に楽な制度である。その中での子どもの過ごし方について保護者が頭を悩ませる必要がないからだ。事業所に「おまかせ」してしまうことができる。かつ費用負担も安い。レスパイトサービスを使いなれた人ならば、そのまま移行も容易だ。利用は伸びやすい。
 さらに、保護者のライフスタイルの変化は着実に進んでいて、働きたい母親は増えた。これは障害児の保護者に限った話ではなく、子どもの親一般に言えることである。
 日帰り短期入所は学童保育所的な利用を想定した事業ではない。それでも、他に使えるものはないのだから、自治体が複数の利用者に大量の支給決定をして、連日同じような顔ぶれが事業所で過ごすことも起きた。
 細かい話になるが、仮に定員を8人としよう。そして、毎日働く保護者が5名いて、その子たちは毎日、日帰り短期入所を使うとする。平日週5日について見れば、5日×8人=のべ40件が受け入れ可能な件数である。そのうち5人×5日=のべ25件は毎日利用の子どもで埋まり、他の子どもが使えるのは残りの15件分だけだ。その地域に「平日夕方に子どもを預ってほしい」というニーズをもつ家庭が総数30件あると想像してみたらいい(一自治体にひとつしか事業所がないような状況なら、このぐらいの数字はよくあることだと思う)。5人が平日毎日使って、残りの25人は隔週1回程度しか使えないのである。
 こうした「格差」が目につきはじめると、「どうしても働かなければ生きていけない」保護者以外の就労ニーズに対して、事業所は冷淡になる。事業所が増えればよいのだが、日帰り短期入所の報酬単価は低かったから、少しぐらい多く受け入れをしたところで、一法人が支援拠点を2つ3つと増やすのは困難だったろう。さらに日帰り短期入所は30分単位や1時間単位ではなく、四分の一日とか四分の二日というよくわからない単位での計算方式となっており、放課後の時間帯の利用に関しては利用時間が短くても長くても収入は変わらなかった。保護者が長く働いて、サービス提供が長くなると、かえって経営的に苦しくなるという不思議な仕組み。
 保護者の就労保障については、児童福祉施策としての学童保育所(放課後児童クラブ)との関連をいかに整理するのか、という問題が残されたままであった。学童保育所でも障害児を受け入れていくべし、とはされているが、1対1で支援者がつけられるような制度設計にはなっていなかった(それは今も変わっていない)。障害をもつ子どもの放課後支援は「子どもの福祉」なのか「障害者の福祉」なのか。中途半端な隙間に置かれたまま、支援費制度の中での放課後支援は進んでいった。
 次に、移動介護について。日帰り短期入所が学童保育所的な機能をもちうるのとは違い、移動介護は障害者福祉にしかないサービスメニューである。高齢者福祉にも無い。それまで国の事業としては存在していなかった知的障害者の外出支援が、なぜ支援費制度の中に組み込まれることになったのかは知らない。ただ、関西の自治体では支援費制度開始以前からずいぶん活発に行われている地域があり、高い評価を得ていた。
 子どもの移動介護は、地域によってずいぶん実情が違う。子どもの利用を認めない自治体もあったが、良心的なところならばきちんとニーズに応じて支給決定された。日帰り短期入所と同じような目的で利用されることが多かったが、屋内とは違った支援内容の柔軟さはあったから、利用者にも事業者にも重宝された。飽和状態になった短期入所に少しでもゆとりをもたせるために使われることもあったろう。
 こちらは支援費の開始と同時に、知的障害者ガイドヘルパー資格というのができた。この資格研修の講義や演習などは19時間なので、3日あれば取れる。福祉の資格としては取りやすい部類である。
 しかし、都市部の事情は知らないが、この近辺では資格研修そのものがほとんど行われなかった。市町村はおろか都道府県の単位で見ても、年に1回とか2回しかなかった(他府県はもうちょっと実施されていたかもしれないが)。日中はどこかに通学・通所していることの多い知的障害児者のガイドヘルプだけでヘルパーが生計を立てられることは考えにくいし、大きな法人の専従職員などはもっと上位の介護系資格を取っていたり取らされたりするから、アルバイト向けの資格だったと言ってもいい。
 子どもの支援を中心に行おうとする場合、放課後に多くの件数の支援を行わなければ成り立たない。1日に2時間だけ、そのへんのコンビニよりはちょっといいぐらいの時給で働いてくれる奇特なアルバイトをたくさん確保して一気に動かさなければならないのに、資格を取得するチャンスが少ない。うちの法人はとにかくたくさんの学生に研修受講をお願いして、どうにか需要に追いつかせてきたが、これは比較的うまくいった例だろう。だから、子どもの支援を中心にしたまま安定した運営を続けられる法人は少ない。
 ここで「事業所の運営モデル」が重要になる。おそらく運営を安定させやすい事業の組み合わせパターンというのがあるのだ。しかし、それは地域の社会資源の構図によっては当てはまらなかったり、しばしば特定の利用者層の不利益を招くこともあるように思う。続く。→つづき