泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

新学年

 子どもたちの新学年も1週間経過。
 クラス替えというのは、ときに子どもの学校生活における大きなターニングポイントになるのだろうが、養護学校においても例外ではない。4人や5人の生徒に対して教師が3人とか4人いて、小学1年から6年までごちゃ混ぜになっていたりするクラスが、「なんで変わるのか」の十分な理解もできないままに大きく変化してしまうのである。教室の場所が変わるだけで大騒ぎだったりする。
 全校生徒200数十人のマンモス養護学校。地元自治体からの新入生は小中高合せて6名。卒業生よりも多かったので、全体として増えた。来年も再来年も増えるんじゃないかという気がする。地域の小中学校に行った結果、使える資源が大きく制約される結果になってしまうケースも目についている。「地域生活支援」なんて言いながら、多くの事業所はあちこちの学校に送迎車を出せるほどの体力は残っていない。悲しいが、うちも同じである。車は1台しかなく、養護学校と地域の学校の終わり時間は全く一致しない。こんな状態が続くと、福祉資源の利用可能性も勘案しての学校選択が行われてしまう。
 自治体内に養護学校がひとつ、小学校が5つ、中学校が3つ。特別支援学級生も増え続けている。ひとつの学校に特別支援学級が3クラスなんて例も出ている。それぞれに福祉サービスが必要な子どもが増えていったときに、ひとつの事業所で対応できるように思えない。養護学校の子どもだけでもすごい人数になってくると、一部の事業所は移動の問題を解決しようと「学校を借りて放課後を過ごし、保護者に迎えに来てもらおう」と言い始める。自分はそれを言いたくない。8時半から18時まで学校で過ごして「地域」とか言う気になれない。
 やっぱりせめて小学校の間だけでも地域の学童保育所がしっかりしないと。なんで身体的に重度な子を拒否しやすいのだろう。知的障害や発達障害は「困った子」として受け入れつつ、身体的な排泄介助などを求められるとすぐ「無理」と言う。どう考えても前者のほうが知識技術を必要とすると思うが。世間が抱いている障害の「重度」感がシンプルすぎる。