泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「福祉」にとって都合のいい「教育」なんて必要ない

 養護学校評議員会に出席。
 学校からいろいろな報告など受けた後、質問や意見など求められたので、この半年ぐらい思っていたことを話してみた。評議員会の終了後、管理職からこっそりと感謝の言葉をいただく。「元気が出る話をしてもらえた」と。
 評議員会に出ると、立場上、「福祉と教育の連携」について話をしなければならない。
 「連携の強化」は学校としてもひとつの目標としているし、個別の教育支援計画の中では福祉資源についての情報も含まれる。学校は子どもが長い時間を過ごしている場所であるのだから、子どもを放課後にケアしている「福祉」サイドにとっても連携は大事な課題である。ここ数年、学校と福祉関係者がいっしょにケース会議に参加することも増えた。
 そんな中、福祉資源は絶対的に不足している。
 卒業後の就労先、通所先も足らないし、放課後の支援も足らない。学校には、子どもの保護者からも不安や不満が語られる。「なんとかならないか」という声だって、学校には寄せられる。進路がなく「在宅」になる生徒を出してしまうことは学校にとって「最悪」とされるので、高等部の担当者にかかるプレッシャーは相当なものである。
 すると、子どもを受け入れてくれる事業所は学校に対して優位に立てるようになる。「子どもを受け入れてほしいのなら、生徒にこんな教育をしなさい」と言える。「教育を変えていかなければ、どこも受け入れてくれなくなるよ」と言える。
 このおそろしさは、福祉サイドの専門性の無さを堂々と「免罪」してしまうことである。
 放課後ケアや通所施設が「自閉症児向けに構造化された環境に慣れ親しんでいると、うちで受け入れるのは無理だ」と言う。さらに「『行き過ぎた』構造化は不要だったり、むしろ逆効果だったりする。保護的になりすぎるのはよくない」と言う。こうして整っていない環境をまるごと受け止められる子どもでいられるようにすることが学校には求められる。
 わけのわからない世界で不安の中、主体的に自らの欲求を表出することなく、ただ従順に福祉関係者の思い通りに動く。言われたことを言われたとおりにできて、することがない不安の中でも静かに待てる。学校の「専門性」のあり方を非難しながら、そんな「理想の障害者」像が称揚されていることの巧妙さと不気味さ。学習性の無力感に覆われた子どもは、あたかも行動障害が弱められているかのように理解されうる。発達のアセスメントができる福祉職なんて、多くの事業所にはいない。生活の中で周囲と軋轢を生じさせなければ、そこに「問題」はないことになってしまう。障害が社会との関わりの中にあるのだとしたら、全くめでたしめでたし。しかし「社会に何の期待もしなくなった者」と「社会」との間に、どうやって「障害」が生じるだろう。諦念の中で生きさせられる者は「障害者」にさえなれないのだ。それを「福祉」が喜ぶのだとしたら、どうか。
 田舎の一地域で問題化してきた話でしかないし、同じような事例が他にあるのかも知らない。ここを特別支援教育の関係者が読んでいるのかもわからない。ただ、きちんとした教育を志している特別支援教育関係者には「専門性に自信をもってくれ」あるいは「自信をもてる専門性をもってくれ」と言いたい。「福祉」にとって都合のいい形に子どもを育てるのが教育であるはずがない。社会で生きるための力を身につけるのが「学校」だとしても、それは「福祉」の顔色を見ることではない。
 対等の位置にいられないものが「連携」を求められた結果、力量が無いほうがイニシアチブをとれるようになるという歪み。子どもを放課後に預かるために、学校の前に乗りつける事業所の車は、どんどん増えるばかり。「必要とされている」ことは、望ましい支援ができていることを意味しない。それでも「望ましさ」の判断はすべて自己評価に委ねられているから、いくらだって誤解できる。これをどう解消するのか。難問。