泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

めずらしく「エビデンス」を擁護したい。

 TEACCHとかABAとか全くまともに勉強したこともない福祉現場が、教育現場に対して「できることをやらせていない」とか「身につけるべき力を身につけていない」とか自信満々に発言しているが、実は学校のほうが遥かに丁寧に子どものことを観察して実践していることがわかる論文、を偶然読む機会にめぐまれた。
 公刊もされないし、おそらくほとんど人目にふれることはない。一現場の人が、仕事をする中の問題意識に基づいて書いたものである。しかし、ここ数年読んだものの中で、自分の「実践」にとっては最も役に立つ部類に入る。事例研究の意義って実はけっこう難しい議論になるはずなのだが、「反面教師」としての福祉現場を見られる事例研究はあまりないだろう。かなり遠まわしに書いているが、読む者が読めば「教育」と比べて「福祉」のダメっぷりが理解される内容になっている(もちろん特定の事業所の話である)。
 自分は障害者福祉研究における「エビデンスベースド」があんまり好きではないのだが(多くの場合、現場にとってわかりきったことしか明らかにされないので)、まだまだこんな現場があるかぎり、「エビデンス」が強調されなきゃならないのだろう。成果が実証されてきている支援の方法論に対して、プライドが高くて自省することのない組織のトップが否定的(かつ「連携」の場面においてはその人が前面に出てくる)というのは本当に救い難い。
 それでも、そんな事業所を支持する人がたくさんいるから、トップはますます尊大になっていく。家庭では単純に「きつく叱る」場面であっても「叱る」以外の方法論を選ぶことのできる学校に対して不満を抱くことの多い保護者にとってみれば、「学校は甘い」「もっと我慢を覚えさせないと」「高等部はバリバリ職業訓練だ」などと言う支援者は溜飲をさげてくれる存在に違いない。事業所の数が少ない中で、サービスの利用依頼はひっきりなし。それらを「自分の優秀さ」への評価と誤解する一方で、「あの事業所はわが子には絶対使わせられない」と言う保護者の存在には気づくこともない。
 全国的な傾向ではないと思うが、このあたりでは間違いなく「TEACCHバックラッシュ」が起こり始めている。「形だけの専門性」のみが反省されればよいのに、成果をあげてきたものまで丸ごと放棄したほうがいいんじゃないかという迷いが学校関係者の中に生じている。歯止めをかけなければ・・・。