泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

自嘲

 需給調整が苦しくなると、事業所は「家族のエンパワメントが必要」とか「親の障害受容ができていない」とか言いたくなる衝動に強く駆られる。ぐっと飲み込む。そんな一面的な話ではない。しかし、確かにネグレクトを助長しているのではないかと疑いたくなる例はある。保護者が就労に逃げ込んでいるようにも見える。経済状態の詳細はわからない。おそらくそれほどまでに働かなくても生きていける。だからといって、余裕がもてるほど働いてはいけないという決まりはどこにもない。障害児の親だけにそんなルールが適応されるいわれはない。そして、堪えて調整を続ける。利用がまた増える。
 保護者の就労に伴うサービス利用が青天井とならないために、何か普遍的に講じられうる策があるのだろうか? いや、青天井であるべきなのか? そんなはずがないとみんな言うだろうが、子どもが機嫌よく過ごせているならば、問題はどこにあると言えるのだろうか? どんどん「家族」に期待すべき機能がわからなくなる。その機能は「障害児家族」にのみ求められているのではないのか?
 支援者の確保に苦しむ中、3月の収益は過去最高だった。がんばりが数字に表れているが、単純には喜べない。1割ほどの利用者で、全体の4割近い利用時間数。ほっておけば、まだまだ偏る。