泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 いろいろあって、しばらくばたばたしそう。1週間後ぐらいにはどーんとまた鬱になっているかもしれない。今のうちに少し書く。
 需給調整とは言うが、基本的には需要に供給を合わせるのである。その反対ではない。支援が「サービス」となればなるほど、その「合わせなければならない」ことの当然さは利用者にも事業者にも理解されるようになる。まっとうな権利性を前にして、事業者に言い訳は許されない。たとえ「本当に必要なのだろうか」と思えるケースがあっても、人さまの生活について自分たちに見えているものなどほんの一部に違いないと思って、ひたすら調整する。人的資源の量が限られれば、「どうしても必要」という利用者に資源は投入され、「できればお願いします」という利用者は後回しにされる。そんなことにならないために、事業者は支援者を十分に確保しようとする。そして、不測の事態にも余裕をもって対応できるように、限界点までは人を動かさないようにする。ところが、稼動していない支援者はモチベーションが落ちたり、他の仕事を増やしたり、生活を組み替えたりする。そして、不測の事態が起きる。急激に利用が増える。支援者に連絡をとると、つれない反応。しかし、これで対応ができなければ、利用者には責めたてられる。その家の生活も壊れる。
 この2週間ほど落ち着いていたのだけれど。明日からやらなければいけないことが多すぎる。