泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

社会福祉学会

 日本社会福祉学会のプログラムが届く。
 仕事で行けないことは既に確定。発表する知り合いもいる。がんばってほしいが、そんなことよりプログラムを一通り読んで、なんともやるせない。
 発表分野(この区分も難しいが)の中で障害者福祉の分科会が最多。
 そして、その障害者福祉の中でも知的障害者福祉の分科会が最多である。
 これほど研究者がいながら、いったいその研究成果は現場のためにどこでどう役立っているだろうか。いや、それぞれの研究者が関わる現場等で役立っている、というなら、では一般化された成果がどれだけ「障害者福祉論」の類に反映されてきただろうか。教科書は少しでも塗り替えられただろうか。障害者福祉制度に関する記述のみがめまぐるしく変化してきた印象しかない。
 そんな積年の悔やみもあってか、学会企画シンポジウムは「時代を切り拓く社会福祉研究 実践現場との共同研究」。各「シンポジスト」(「symposist」って英語あるのだろうか…)による資料が載っている。どうやらそれぞれの主な主張と思われる部分(一部要約)。

 研究と実践は異なる論理で展開しているので、両者の橋渡しが大事。実践経験をもつ研究者はこの領域で貢献できる。実践者が主導する共同研究も重要。応用科学である社会福祉学は、これらの課題に応えなければならない。

 実践と理論の融合には3つのチャンネルがある。(1)理論を実践に応用。(2)実践を理論に適用して実践根拠を確立(実践根拠って何だろう?)。(3)事例を蓄積して理論を再構築。

 研究者と実践者の双方に、実践と研究をつないでいく方法としての臨床的態度や姿勢が問われる。研究を進める上では(1)研究目的・対象に対する適切な研究方法や理論を選択すること(2)ミクロレベルの研究からメゾ・マクロレベルの研究へと展開させること(3)実践者と協働研究しながら、実践者をエンパワーすること。

 実践から帰納的にモデル化、理論化する研究方法の開発が大事。でも現場を経験しないと、リアリティは理解できない。だから理論化に実践者が参加するか、現場に研究者が参加することが必要。

 このように理論と実践の往還についての議論がもうずーっと長年なされている(目立った成果があがっているのかどうかは知らないが、少なくとも理論と実践の関係について「理論的に」考えようとしている研究者はほとんどいない。では理論と実践の関係について実践者の立場から考えようとしているのかと言えば、それを貫けているようにも思えない)。このあたりの事情はおそらく社会福祉学に特徴的なのではないだろうか。多くの学問分野において、理論と実践の結びつきが大事だ、なんて、あえて大声で言うことではないのだろうと思う。ここでは「現場がある」ということが、応用科学だとか実践科学だとかいう自己定義を導いている。実践的であること、と科学的であること、は必ずしも一致しないと思うので、この定義は自らに高いハードルを課しているようにも思うのだが、どうも他のものに「社会福祉学」らしさを見出すのは難しいようだ(自分の考えとしては、「実践に役立つ知識を与えてくれるなら何学だって構わない」と、潔く言えばいいじゃないか、と思っている)。
 …などと書いていると、野崎さんが三島亜紀子による書評から、社会学社会福祉学倫理学の結節について論じていた。
社会学社会福祉学倫理学
http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070907/1189132155
 ちなみに、虐待の社会的構築を言って、一部の福祉現場から敵対視されてしまったのは上野加代子で、2004年の関西社会学会ラウンドテーブルでは福祉サイドからの厳しい評価について語られていた(行けはしなかったが、レジュメだけ入手できた)。
第54回関西社会学会 ラウンド・テーブル・セッションのページ
http://homepage2.nifty.com/tipitina/roundtable2004.htm
 三島書評はまだ読めていないが、日本社会学会で臨床社会学に関するテーマ部会が2年連続で行なわれたのが、98年と99年。数年前には「臨床社会学」出版ラッシュもあり、この10年ほどで社会学の中に「支援」の「現場」を強調する傾向が強まってきたことは言えるのかも知れない。かつ臨床社会学の中には、社会福祉学が長年続けてきたような研究を、社会学ディシプリンに基づいて行うことを自らのアイデンティティとする立場もある。対象を「社会学的に」観察する、という表現ほどの明確さを(これだって、それほど明確じゃないのかもしれないが)、対象を「社会福祉学的に」観察する、という表現はまだ持っていない。社会福祉学サイドからすれば、自分たちの研究対象領域が、かっちりとした方法論をもつ社会学に脅かされている、という意識が強いのだろうと思う(加えて、「福祉」の専門性もはっきり示せない中で、このままでは保健や看護や医療の専門家によって、自分たちの仕事が奪われる、という現場の危惧を払拭するためには、政治的な縄張り争いにも寄与しなければならない)。
 そこで、社会福祉学の固有性についての議論にはおなじみの「価値」の話が出てくる。「社会福祉哲学」などとも呼ばれる。社会福祉実践は特定の「価値」に基づくから固有なのだ、と。でも「実践」の固有性と「研究」の固有性は、また別の話であり、研究に挑もうとする理由や動機づけとして何らかの価値に依拠していることを、学問の固有性として主張したところで、他の学問から「それなら自分たちだって、価値に基づいている」と言われてしまう。こうして、また社会福祉学は窮地に立たされる*1
 ちなみに、以下の論文のように、社会病理学と臨床社会学を組み合わせて整理すると、社会福祉学のうちかなりの領域までがカバーされてしまうような気もする。社会福祉学の内側にいるものとしては、やっぱり社会学の枠組みってしっかりしているよなあと思わずにはいられない。ちなみに著者は、昔、少し世話になった人。『知的障害者家族の臨床社会学』を書いた中根成寿さんのお師匠さん。
臨床社会学試論(中村正)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/411pdf/03-04.pdf

*1:このほかにも、研究対象の範囲に固有性を求めるとか、まあいろんな考え方があるのだけれど、これまでのところ何かひとつの答えに集約されていきそうな様子はない