泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「発達」をどう捉えるのか

 野崎泰伸さんの「障害の哲学・序論」を読んだ。
http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070401/1175383822
 これから、広大な領域に及ぶ研究が展開されるのだろうと思う。序論とはいえ、大変に重要なテーマをたくさん含んでおり、自分のような者が軽率に発言できることは少ない。ただ、発達保障論の話など出てきて、懐かしいと思った。学生のときに、ゼミで一番はじめに発表したのが、養護学校義務化をめぐる、この議論だったので。
 以下は、そのあたりを読みながら、ぼんやりと(そうは言ってもけっこう頭を使って)考えたこと。議論を発展させるのに何か役に立ちそうなものを書きたいとは思ったけれど、結局、自分の頭の中を整理しようとしただけのような気もする。自分では批判的に読めた、という印象もないし。この話はとても難しい。主には2「障害の哲学」の諸相の中の(2)「生の肯定」のための思想の確立、のあたりについて。
 発達と一口にいっても、実に多様な側面を含むものだと思うので、このあたりの議論はやはり複雑になると思う。
 定型発達によって「できる」ようになることに価値を置くことは、「できない」ことを認めないのではないか、という疑問を生じさせるし、実際に発達保障論の言説が「分離」や「訓練」のための根拠づけに利用されてきたことは言えるのだろう。それが発達保障論者の真に意図したことだったのかどうかは、よくわからない。ただ、学習権との関係で言えば、実質的に教育から排除されていた障害児に対して「養護学校」という場所が義務的に確保されることを、「発達保障論」支持の全障研は確かに評価していた。このとき、就学先の決定権が「専門家」に強く委ねられており、「科学的」な判断が優先されるものであったことは、当時から強く批判されてきている。全障研の運動に否定的な立場の中にも、全障連(全国障害者解放運動連絡会議)をはじめとする養護学校義務化反対論者に対して、「就学そのものが否定されかねない」という懸念があったというし、当時の情勢の中での政治的な判断というのもあったかもしれない。
 もちろん発達保障論をめぐる議論の中心は「分けられて、通える場所がある」か「分けられないが、通える場所がない」か、の選択ではない。しかし、学習権をめぐる議論においては、本当の対立軸もわかりにくいものであったように思える。その中で「できないよりも、できるようになったほうがよい」を批判したのは、「できなくてもいい」ではなく、「同じところで学べたほうがよい」だったからだ。反対派は、身体とか能力とか人格といったものは、関係としてあるもので、同質の子どもたちばかりの集団では、その関係性を作り変えていくことができない、と主張した。すると、地域の普通学校の中で、障害をもつ者ともたない者がともに学ぶことでこそ、その関係性の変革は可能だということになる。関係性の中で「発達」を理解しようという主張は、教育学者からではなく、医学、心理学、哲学などの分野から提起されたもので、それだけ教育学にとって「発達」というのは個人主義的なものであった、と嶺井正也は述べているが(嶺井正也『障害児と公教育』38-48)、今の教育学の趨勢はどうなのだろうか。このあたりは全く知らない。
 関係性の中での「発達」が望ましい、となれば、これはまた新たに「できるほうがいい」という価値観に立脚するのではないか、という批判がありうる。発達が個人的なものであるか関係的なものであるか、分離か統合かの違いがあるだけで、いずれも「望ましい発達」を前提にしているではないか、と。しかし、「できるか、できないか、を気にしない」というのも関係の中で育まれた「発達」だと捉えれば、そこには大きな意義を見出すことができる。ともに過ごす中での相互理解というのは、自分自身も仕事の中で経験してきているから、理解しやすい。
 ところで、すごく感覚的な発言になるが、以前ほど「絶対に統合教育が望ましい」という主張は耳にしなくなった気がする(「わが子を地域の学校に通わせたい」という主張が聞かれなくなったということではなく、一般論として)。保育所等を卒園するとき、養護学校と地域の学校を天秤にかけ、悩んだ末に養護学校を選ぶ保護者も少なくない(これが「子ども」ではなく、「保護者」であることをどう考えるか、というのも大きな問題だが、ひとまず措く。ここまで書いてきて、今日から養護学校ではなく「特別支援学校」だということに気づいたが、それも措いておく)。その判断の理由は多様だけれど、たくさんの子どもたちと交わりながら成長する、ということに、価値を置かない人は増えてきた。
 「共育バックラッシュ」のようなものが実際にあるのだとすれば、おそらく圧倒的に養護学校自閉症とその周辺の障害をもつ子どもが増えたことによる。もちろん障害程度にもよるが、子どもたちの中には他児との「関係性」に過剰な負担を感じる子どももたくさんいる。障害をもたない子どもとともに学ぶことで、「自閉症とはこういう障害なんだ」とか「障害をもっていてもいなくても、それは関係ない。○○くんは○○くんだ」と周囲が思えるようになったとしても、その過程で障害をもつ本人が苦痛を感じるとすれば、保護者も支援者もより本人にとって安定できる環境を用意したいと考えるのは自然なことである。自閉症児へのアプローチの主流はすでに「障害を克服する」ことではなく、その子どもにとってわかりやすい環境を用意すること、にシフトしている。そうは言っても、それは個人的に「できるようになる」という達成を無視するわけではなく、自閉症児に対しての「療育」はなされるし、何かができるようになれば、周囲は喜ぶ。本人も喜ぶ。できることが自信ともなる。生活上の不便も少し緩和される。
 障害が個人的な経験として「不便」であることを認めつつ、そのことによって社会的な不利益を受けることは避けなければならない、という考えを、自閉症や知的障害をもつ人々に適用しようとすると、その線引きが非常にわかりづらくなる。なぜだろうか。うまく言えない。仕事をする中で「できるにこしたことがない」という価値観が自分の中にも、周囲にも随所に見られ、すると「社会」の責任が問われる領域がそのつど可変的になってしまうからであるような気もする。
 「この社会がわかりにくい」「この社会のルールがどうしても納得できない」という場合に、社会のあり様はどのように問題とされるべきなのだろうか。「社会が悪い」と「適切な支援が必要だ」の間には少し距離がある。適切な支援が必要だと言われるとき、社会は免罪されてしまうかもしれない。しかし、社会の「わからなさ」が問題だといわれたら、多くの人々はどうしたらよいのか戸惑うだろう。社会の方を責めきれない部分でどうにか支援をしていこうとすると、その支援は支援者と障害をもつ人の間で閉じてしまう。
 社会が責めを負うべきであってもなくても、必要な支援がきちんと保障されなければならないことは間違いないと思うのだが、本人にとって暮らしやすい社会を作ろうとすることが、「分ける」ことに向かってしまう現実と、「分ける」ことで人々から理解もされなくなってしまう現実。結局のところ、現場では、「特別な支援」の必要を言いつつ、「交流」も大事、というような話で落ち着くのだが、なんとも玉虫色で論理的には整理がつけられていないような気がして、すっきりしない。このあたりが自分の中でうまくまとめられれば、仕事をしていく上でもきっと有益なのだけれど。
 なお、学校選択の話において、地元から遠く離れて地域の子どもとは関わりようがない養護学校か、地元で数多くの地域の子どもたちにもみくちゃにされる普通学校か、というに二者択一しかないはずもなく、もっと多様な形態があっていいということは、最後に申し添えておきたい。この2つの間があまりに広すぎる。