泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 まだまだ不十分だが、週3日お願いできそうな人が見つかり、スタッフ探しはひとまず一段落。
 見つかったらもっと開放感に浸れるだろうと予想していたが、いざそのときが来たら全くそんなことはなかった。まだ何もはじまっていないのだから当たり前だ。
 今日は朝から保育所養護学校新入生の様子を見学。自閉症児に対して特に構造化等の手法も駆使せず、どう考えても適切とは言えないスパルタ気味のアプローチをする加配保育士の姿を見ながら、それでもなんとかしている子どもというのは本当にたくましいな、としみじみしている場合ではない。少しずつ保育所の加配に対する研修は進んでいると聞くが、この様子だとまだまだ足りない。
 このあたりは障害をもっている子どもならば保護者の就労に関わらず保育所に通える。療育機関の利用はせいぜい週1回と非常に少ない。養護学校生も地域の学童に通っているし、本来的には地域の多様な資源が発達障害へのアプローチに長けていなければおかしい。しかし、状況は全く逆である。これはなかなか興味深い。
 しかし、同じくらい興味深かったのは、卒園式の練習で園児にひとりずつ「大人になったら○○になりたい」と言わせていくと、女児がスポーツ選手やら食べ物屋さんやら看護士やら保育士やら多様であるのに比べ(もちろんこれだって十分に偏りはあるわけだが)、男児は8割が「サッカー選手」であることなのであった。5歳でこの横並び意識というかジェンダー拘束というか、なんだかなあ。