泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

伝えるための知識

 年度末が近づき、プレッシャーがじわじわと押し寄せている。
 それでも、まだ追い詰められきってはいないのだろう。元気が出ないし、フットワークが鈍い。本当にぎりぎりまで追い詰められると、たいてい体は自然に動く。なんだか自虐的だが、逆境に強いとはしばしば言われる。別に強いわけではなく、是が非でもやらなきゃいけないことがある仕事なのだから、当たり前ではある。
 個別のケースについて、細かい連絡調整をしなければいけない日が続いていた。ケースもいろいろだけれど、特に自閉症については改めて考えさせられていた。児童相手の仕事を中心にしていると、今や養護学校も保護者も相当熱心に勉強している。その対応については、学校や家庭との連携が不可欠。支援者の対応の統一も不可欠。かなり丁寧な情報共有を続けていた。
 気がつけば、1年前は全く素人だったアルバイトのおばちゃんが、その子どもについては十分な理解ができるようになっている。子どもの様子とそれについての考察を話してくれるが、聞いている限り、自分の理解と大差ない。本当にこれでよいのだろうかという心配性ぶりは相変わらずでも、判断は確かである。じゃあ、自閉症の障害特性についてすらすらと話ができるかと言われれば、たぶん無理だろうが、少なくともその子どもについてはよく理解している。すごい進歩である。シフトに入る日は朝から緊張しているという。そこまで思い詰める必要はないと話しながら、そのぐらい慎重な人だからこそ大きな間違いもしないのだな、とも思う。石橋を叩きすぎるぐらいの人の方が、自閉さんのケアには向いているかもしれない。
 そんなふうに家庭も学校もうちも最大限のエネルギーを投入して支援をしているのも知ったこっちゃないかのように、本人は年末ぐらいから不安定で、なかなか状態が良くならない。もともと養護学校に入学してきたときから、手強い子だった。いや、保育所での様子をはじめて見たときから、手強い子だった。今では、周囲の環境はほとんど本人にとってできるかぎり負荷のかからない形になっているはずなのに、ほんのちょっとしたことでも不快に感じられるようで、その感情をさまざまな形で表現している。本人の健康のためにもやめさせたい行動をとる時期もあったが、それは乗り越えた。すると、また別の表現を繰り出す。それは本人が安心を求める行動であると同時に、何かが不快であることを教えてくれる行動でもある。
 自閉症について研究熱心なことで知られる養護学校なのに、スムーズに登校できず、登校してからもすっかり構造化された空間、スケジュールの中で不安定になる。いくらわかりやすくしても、やりたくないことはやりたくないということだろう。それでパニックが続くと、どんどん本人の思うように過ごさせる方法が選ばれていき、選択肢が増やされていく。しかし、それが理想的に実現できるのは養護学校ぐらいしかない。家庭も学童保育所も、集団生活の場として折り合いをつけなければいけない場面は出る。より厳密に言えば、養護学校でさえも無理はある。クラスメイトとのトラブルで悩む子もいる。自閉症児といっしょに過ごすことが嫌いな自閉症児もいる。担任との相性が合わない子もいる。
 「やりたくないことをしない」ことに対して、世間の風当たりは強い。「わからない」ことには寛容な人も、「やろうとしない」ことには厳しい。こうした子どもたちに「やりたくないことをさせる」ことがどれほど無理のあることで、それが「我慢をすることも大事」「社会に出たら、自分の思うようになることばかりではない」なんて話とは次元が違うものであることは、身近な人にはよく理解されるのに、少し立場の離れた人にはなかなか理解されない。このとき自閉症の障害特性を、よく言われる「社会性」とか「コミュニケーション」とか「こだわり」とかの論点を持ち出して説明しても、どうもポイントを外している気がする。たぶん「地域」志向が強まれば強まるほど、自閉症についての知識というより、自閉症というものの「伝え方」についての知識が問われるのだろうと思う。その蓄積はまだ少ない。たぶんこの蓄積が進まないうちは、いくら地域福祉と言ったところで、それは地域の中で隔絶された暮らしを営んでいるだけだ。その意味で自閉症という障害の「伝え方」の進度は、きっと「地域」志向の指標になりうる。