泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

5年遅れのボランティア

自閉症児の外出支援へガイド養成(東奥日報
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/20060919094013.asp
 これはひどい

 自閉症児の親らでつくる八戸市自閉症児者親の会(馬渕豊美会長)が本年度から、自閉症児者の外出に付き添うガイドヘルプボランティアの養成に取り組んでいる。(中略)視覚障害者や脳性まひ患者などへのガイドヘルパー派遣事業はあるが、自閉症児者向けの公的なガイドヘルパー制度はない。同会会員で研修会総括責任者の菅原友記さんは「自閉症が障害として認められた歴史が浅く、世間的な認識が十分に広がっていないのが原因」と話す。

 八戸でどの程度まで適切に制度が運用されているのかについて事情はわからないが、たとえどんなにひどい状況であっても、この説明も取り組みも全く間違っている。「自閉症児者向けの公的なガイドヘルパー制度はない」って何年前の話か。報道する方も少しは調べてみたらどうだ(もしかしたら報道する方が誤った伝え方をしている可能性もあるが)。しかも、非常に厳しい言い方になるが、それを「ボランティア養成」で対応しようとすることは許されない。それはやらない方がよいどころか、やってはならない。
 自閉症など行動障害をもつ人にとって外出の支援が必要であるのにのかかわらず、多くの地域で全く提供されてこなかった、あるいはボランティアによる極めて使い勝手が悪い支援しか提供されなかった歴史があるからこそ、先駆的な地域から次第にガイドヘルプを制度化する努力が進められ、ついには支援費事業として移動介護が事業化され、自立支援法施行後もそれを維持するために行動援護や移動支援といった事業をよいものにしようと関係者は必死なのである。制度について十分に学ぼうとせずに、ボランティアでやろうとするのは、制度の足を引っ張る。
 必要な制度が無ければ、それをアピールしながらボランティアを過渡的に行なうことは珍しくないし、実績がない支援に金がつくようにはならない。しかし、制度化の進んだガイドヘルプの事情は全く異なる。仮に行政が支給決定をうたないとか、事業所が存在しないとかの理由があって、自分の暮らす地域で制度が利用できない状況にあったとしても、その場合は「使えるべきものが使えていない」と言い続けねばいけない。「自分の地域にはないからボランティアで」という安易さは罪深い。
 うちだって「ボランティア」でやっている事業はあるが、それは現行制度で代替できないものだけである。実際のところ、ここ数年でかなり障害者福祉の制度化が進んだため、障害児者関係のボランティア活動の位置づけはずいぶんと複雑になった。ボランティアでやることにやりがい感じてきた人たちに、制度に移行してヘルパーとしてやりなさいと言っても簡単ではない。多少使い勝手が悪くてもタダのほうがいいとか、慣れたボランティアのほうがいいとか、使う側にもいろいろある。下手なヘルパーよりも優秀なボランティアがいることもまた事実である。それでもボランティアに頼り続けることで、得られないものや失われるものの大きさは自覚しておいたほうがよい。自分たちが苦労するのみならず、他の努力している人たちが多大な迷惑を被ることになる。