泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

奉仕・ボランティア義務化の思想

 以前にトラックバックをいただいたtanakahidetomiさんが取り上げておられて*1、気になっていたのだけれど、こんな話になっていたとは。
「大学は9月入学に」安倍氏、討論会で提唱
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060914ia02.htm

 自民党総裁選に立候補している安倍官房長官は14日午前の自民党青年局主催の公開討論会で、教育改革について「大学入学(時期)を世界の慣行に合わせる」と述べ、国公立大学の入学時期を9月に変更することを検討する考えを示した。
 そのうえで、「(高校卒業後の)4月から9月までの間は、例えばボランティア活動をやってもらうことも考えていい」として、高校卒業から大学入学までの約5か月間に社会奉仕活動などを奨励する制度を導入したいとの方針も打ち出した。
 日本の大学では、現在、基本的に4月が入学時期だが、帰国子女などに配慮して一部で9月入学も行われている。しかし、国公立大学が原則9月入学になると、私大も追随すると見られる。さらに、企業の採用、人事計画などに影響が及ぶほか、社会奉仕活動の位置づけも難しいことから、今後、大きな議論になることが予想される。
 大学の9月入学と社会奉仕活動をめぐっては、2000年末に森首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」がまとめた報告書に盛り込まれていた。
 安倍長官は、教育改革の進め方に関しては、「英知を結集していく必要がある。教育の再生について議論してもらう場が必要だ」と語り、首相直属の「教育改革推進会議」(仮称)を新設する意向を正式に表明した。
 教育基本法改正案については、秋の臨時国会で成立させたいとの考えを改めて強調した。

 教育改革国民会議による「奉仕活動の義務化」の提言がどれほどボランティアやNPOの現場から叩かれたのかを忘れたのだろうか。
 この提言を積極的にあちこちでアピールしたのは曽野綾子(作家・日本財団会長)だと思うが、その思想がどの程度のものか、は発言のごく一部を抜粋するだけで事足りる。以下は『諸君』2001年6月号の「楽ちん『ボランティア論』を叱る(曽野綾子阿川弘之)」から。安部氏の言う「ボランティア」が教育改革国民会議の言っていた「奉仕活動」と同義かどうかはわからないが(00〜01年当時もかなり報道等には混同が見られた)、どのような背景のもとに生まれてきたプランであるかはよくわかるだろう。

曽野 たとえば、これからどんどん老人社会になっていくとき、その面倒を誰が見るのか。国が福祉でやればいいと言うけど、国に目鼻がついているわけなし、実際に介護をするのは生身の人間です。だから結局、海外からマンパワーを輸入するか、あるいは日本の中で若い世代の何十パーセントかを人手として強制的、義務的に確保するしかない。
 いま西ヨーロッパには東欧やトルコからの移民が滔々として流れ込み、いろんな問題が起きているようです。寒い森の中の道端に、湖から上がってきたばかりのようなビキニ姿の女の子が立っていたりするのよ。彼女たちはいわゆる〈夜のお嬢さん〉。それから麻薬……。マンパワーの輸入とは、そういうことも背負い込む。イタリア人の知り合いが言うには、彼女の近所のおばあさんは恩給と年金で暮らしているのだけれど、隣に東欧から子どもを十人も連れた移民が来て、政府が彼らにどんどん補助金をやるから、「私はイタリア人でこんな貧乏暮らしをしているのに、どうして外国人にやるお金があるのか」と怒りだしたそうです。日本もいずれマンパワーを入れざるをえなくなると思いますが、その弊害を少しでもなくすためには、われわれ自身で何かをするという思想を持たないとだめですね。
阿川 「自助の精神」の涵養ということですね。
曽野 ええ。また、強制とか義務という言葉が嫌いな人が多いようですけれど、それなら代案はあるのか、教えてほしいのね*2。強制はだめだけどボランティアならいい、という声も聞きますが、ほんとうのボランティアは命懸けのものです。日本でボランティアというとNPO(非営利組織)のイメージが強いと思いますが、私はNPOをやったら堕落すると実はひそかに思ってるんです。NPOは非営利と言いながら損はしないようになっています。だから〈でもしか人生〉と同じで、「NPOでもやろうか」という中途半端なボランティアが多くなりますよ。(中略)
曽野 奉仕に教育的価値を持たせようとしたら、少しは抵抗感のある嫌なことをやらせないとだめ。(中略)どんなことでもいいんですが、まず、大部屋に十人くらい詰め込んで共同生活をさせる。共同生活ほど人間に忍耐を強いるものはありませんから。そして、携帯電話やテレビは禁止。暖房は仕方ないけど冷房は許しません。ご飯も栄養も十分であるように計算されたものであっても、決して美食はさせない。
阿川 かつてそれを全国規模で行っていたのが徴兵制です。こういう議論をするときに、「徴兵制をやれとまでは言わないけど…」と言う人が多いけれど、ぼくは徴兵制をやればいいと思っている。ただ、アメリカのクエーカー教徒のように従軍が戒律で禁じられているとか、個人の思想信条でどうしても軍隊には入りたくないという人には、病院でおむつの洗濯をするとか、公共施設の下草を刈るとか、別の嫌な仕事のオプションを設けるといい。とにかく、若いうちにかなり嫌なことを強制的にやらせ、それをやらないと上の学校には進学できないとか、そのくらいのことをやって全然問題ない。(中略)
曽野 ともあれ、私がいま考えているのは、日本に必要なのは、求愛親父ではなくトラディッション親父であり、それが物わかり悪く嫌なことをやらせる、そういうふうになればみんなもうすこしシャッキリするはずということです。
阿川 でも、嫌なことばかりじゃだめで、多少はインセンティブがあったほうがいいとぼくは思う。たとえば、カンボジアPKOに行ったら相続税は半分にするとか。
曽野 欲と二人連れということね。そういう不純さはいいですねえ(笑)。
阿川 相続税を取られるのは不愉快だと言う人は、辛いことや嫌なことをして、体で払えばいい。湾岸戦争に従軍したアメリカ軍兵士は、確かみんな税の減免あるいは延べ払い措置を受けているはずです。ですから、予備自衛官になった人は税金が安くなるとか。
曽野 でも、日本ではそういうことを言うとすぐに、「人の命をお金で買うのか」ですからね。
阿川 そういうふうに考えると、何もできないから、いまのように閉塞した気分が蔓延するのではないですか。
曽野 世の中、不純なほうがいいんです。そのことがわかるのが、大人になるということかもしれません。

 閉塞した気分が蔓延しているのは、この二人の間だけではなかろうか。この人がトップの日本財団助成金などで世話になっているNPOは多いだけに、なんともやるせない気持ちになる。
 念のために書いておくと、若い世代が社会的な活動に参加する仕組みを考えることには自分も賛成の立場。しかし、やりたくもないボランティアを義務的にやらされることと、それを現場で受け入れることのリスクは、考えられるプラスの成果と比較して遥かに高い。

*1:http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20060831#p1 http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20060902#p1 など

*2:当時、大阪ボランティア協会の早瀬昇氏(ボランティア・NPO業界の今や大御所)らが呼びかけて作成した「代案」を含む要望書は、http://www.arsvi.com/2000/001000hn.htmで読める。