泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

二元論

 実家では、『思想』1985年11月号「新しい社会運動〜その理論的射程」を読んでいた。高橋徹「後期資本主義社会における新しい社会運動」、山口節郎「労働社会の危機と新しい社会運動」、長谷川公一「社会運動の政治社会学」、片桐新自「戦後日本における運動論の展開」など。
 資源動員論やら相対的剥奪論やら、名前だけ聞いて内容がよくわかっていなかった理論の概要がようやく把握でき、運動論の見取り図が少しだけ頭の中に整理される。もっとも1985年時点のものなので、この後の展開がどうなっているのかはよく知らない。それにしても分析対象を「個人」とするか「社会」とするかの二元論に陥って、その克服として理論統合が図られるというのは、どの領域でもいっしょなのだなあ、と感じる。
 ここしばらくの間に障害者福祉に起こった数々の変化を社会運動論から整理したら、今後の運動展開を考える上で有意義なのではないか、と思うのだが、相当な人脈と調査能力と理論研究によらなければできそうもない。誰かやってくれないだろうかと、思わず他力本願。