泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

高齢者と社会運動

 安立清史(2005)「福祉NPOの展開と福祉社会学の研究課題」『福祉社会学研究』2,12-31.
 とても慎重に書かれているので内容についてあれこれ言うところはない(そもそも研究動向のレビューであるし、無難なまとめ方でもある)。NPO研究者は「高齢者介護NPO(特に「住民参加型福祉サービス*1」)」に偏りがちであるが、それが福祉NPOを代表するものではないということにもよく配慮して書かれている。条件つきで書かれている部分が多いので、あれこれ言いようがない。
 高齢者団体・NPOによる社会運動や政治過程を分析する研究がアメリカでは増えつつあるということを指摘して、最後に福祉NPOを社会運動論から分析することが日本でも必要になるということを述べたのには全面的に賛成。そうした研究は極端に少ない。
 そもそも高齢者自身による福祉政策への提言というものが日本ではほとんどない。介護保険の成立や改正の政策過程にも「当事者」の出る幕はない。この点においては、障害者分野のほうがはるかに先駆的である(何を持って「先駆的」と言うべきか、というのも実は難しい問題だが、この場合は差し支えなかろう)。
 社会保障全体の整合性云々をこれからも国が言うのであれば、障害者福祉政策はおそらく高齢者福祉政策の動向に引きずられていく。支給量の抑制にますます傾きつつある介護保険制度に対して、潜在的にも顕在的にも介護を必要とする高齢者自身が政治的に力を行使できれば、高齢者福祉政策のみならず、社会保障全体に及ぼす影響はきっと大きい。これほどまでに高齢当事者が政治的に力を持てないのはなぜか。
 団塊の世代がこれから退職していく。どのような老後を過ごすのだろう。

*1:いずれ理由は書くが、自分はこのネーミングが大嫌いである。