泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

備忘メモ

 昨日の日記で書いたカテゴリー化の難しさについて、グラウンデッドセオリーを復習していたところ、「画期的な方法なんだよ、すごいだろ」的な内容に次第に腹が立ってきて、以前から抱いていた「実践者にとっての『新しい情報』がここから生まれるんだろうか?」という疑問が改めてわいてくる(自信過剰かもしれないが、自分の実践現場に研究者が入ってきてこの手法をとったとしても、何か自分にとって「目からウロコ」の成果があがるとはどうしても思えない)。
 そこで違う可能性を求めて、積ん読になっていたKJ法本を見てみる。

続・発想法―KJ法の展開と応用 (中公新書 210)

続・発想法―KJ法の展開と応用 (中公新書 210)

 すると、302ページ。

 そこでKJ法に関連して生じる危惧は、このような創造性学習では、「知識の量がふえない」ということである。しかしながら、知識の量をふやす点では、またべつの点では、またべつの方法をふたたびKJ法を使って、補うことができる。すなわち、根幹的な重要性をもつというより、枝葉に属する知識については、こんどは先生のほうが、徹底的に練られたA型図解を、あらかじめ用意するのである。そしてこれを口頭で説明する。

 ・・・。これらの方法を用いた研究の成果に期待されるべき機能について、自分が何か誤解しているような気がしてきた。自分のバカさ加減を忘れぬために、備忘メモとして残しておく。