泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

子どもの幸せ今昔

 知的障害をもつ子どもと出かけていると、しばしば考えることがある。今でこそ、いろいろと外出先で楽しめるものもあったりするが、昔はどうだったのだろうかと。今日もそんなことを考えていた。
 自然が大好きな子どももたしかにいるけれど、多くの子どもは現代的な文化・娯楽を享受している。テレビやビデオの視聴はもちろんのこと、電車やバスへの乗車、映画やゲームセンターに行くことだってそうだ。ビデオやミニカーやお菓子を次々と買ってもらいたがることだって(そして、買ってもらえないことに激しく機嫌を悪くすることだって)、現代的な背景の中でこそ可能になっている。
 異なる時代の生活を比較して「昔の人は不便な生活でかわいそう」とか「いや、昔のほうがよかった」とかいうのは、きっと大した意味をもたない。後の時代を生きる者は、過去と比較ができる特権を持っているが、比較のための視点そのものがすでにその時代の価値観にどっぷりとつかっている。都市と農村の比較でも同様である。
 それでも、つい考えてしまう。物質的な豊かさが、生活の豊かさだという考え方はいつでも自明なわけではない。相対主義の抱えるさまざまな問題をひとまずおいて、「豊かさは多様だ」「幸せは人それぞれだ」と言ってみる。そのとき、知的障害をもつ子どもにとっての「物にあふれた時代」や「物のない時代」の評価を、一般化して語ろうとすることは本当にできないのだろうか。
 「物」に向けられる欲望は、それを得られない苦しみも伴う。同じ「物」でも、享受できる能力が問われることだってある。なぜそれを自分が得られないのか、が理解できないことだってある。「物のない時代」にも、こんなことはあったのだろうか。そして、知的障害をもつ人たちにとって、物のない時代に感受されていた苦しさとは、何だったのか。
 こんなことを考えるためには、あらゆる局所的な前提から降りて自由になれたらよい。それが、いわゆる「客観的」ということなのだろう。そのとき、はじめて有意義な比較ができるような気がする。もっとも、理屈の上ではそれは純粋には不可能なことなのだろう。視点とかいう以前に自分の場合、まずは歴史的事実を学ぶところから始めるしかないか。