泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

せっかく

 少し前の日記にトラックバックhttp://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20050414)をいただいたので、思っていることをもう少し。
 たぶん最大の山場は平成18年10月の「移動支援事業」開始だろうと思う。行動援護類型にあてはまらない移動介護利用者はすべてこの事業の利用に移行する。単価の見通しについては非公式な噂として少し聞いているが、確実に事業者はさらなる減収となるはず。おまけに市町村事業となれば、地域格差の拡大は必至。やりたくない市町村はやらない。
 単純に言って、移動介護をいくら一生懸命やっても、行動援護類型に数多く当てはまらないかぎり、平成18年10月からほとんど経営は成り立たなくなるだろう(ものすごい件数をわずかなコーディネーターで調整できれば話は別だけれど、それができる地域や事業者は限られている)。それまでに事業者はどう対応策を講じるか、がひとつの焦点となる。
 よく言われる「小規模多機能化」は、そのような要請からも選択肢として浮上してくる。通所施設を運営するとか、グループホームを運営するとか、高齢者分野に進出するとか、とにかく他の事業を並行して実施することで、採算がとれるようにする。そうはいっても、障害者福祉分野では何を並行しても、移動支援のマイナスをカバーできるほどの収益にはなりそうもない。そこで高齢者の介護に注目が集まる。自分もこの分野でわりと著名な人から「高齢者介護に進出したほうがいいのではないか」と言われたことがある。移動介護はどうしても平日の夕方以降と週末に集中するから、他の時間にもしっかりサービス提供することが、効率的に収益を増やす近道だ。高齢者介護は複数件をこなしやすい。
 しかし、率直に言って「なんでそんなことしなきゃいけないのか」。事業者にはそれぞれに起業に至った経緯や思いやミッションというものがある。経営的な必要性からするべき仕事が過剰に多くなると、モチベーションも維持できない。まずは、行動援護類型が適切に認められることと、移動支援の交付金化にできる限り抗うことが重要だろう。これ以上、地域格差が大きくなることを誰が歓迎するのだろう。
 一方で、「NPOなのだから自主財源を確保して、行政依存から自立すべきだ」と叫ぶ人もいるかもしれない*1しかし、人件費が圧倒的な割合を占めるこの分野では全く現実的でない。私的契約に基づくサービスで高価格で実施するところもあるだろうが、それはそれで異なる不平等を生むことにもなる。
 資源のない地域では、支援費の事業者指定を受けている介護保険事業者を利用している人もいる。「全然、ヘルパーが自閉症について理解してくれない」なんて話も個人的には聞いている。中高年の女性ヘルパーが多数の事業者で、自分たちがやってきた仕事のすべてができるだろうか。利用者みんなが好んで使うかどうかも、うちの利用家庭を見ていると大いに疑わしいと思うのだが、全国的にはどうか。
 こうした状況に対して、知的障害当事者からの声はまだまだ小さいように思える。これから1年ちょっとは知的障害者福祉の未来を賭けた運動の時期。しっかり声をあげなければならない。なんだか結論は素朴すぎるけれど、本当に大きな山場だ。

*1:実際、浅はかなNPO論者は、分野ごとの歴史的背景や社会的文脈の違いを踏まえもせずに、NPOの財政的自立を強調する。すべてを否定するつもりはないが、日本の福祉分野の場合、「NPO」という形態は目的にも(ex.「市民参加」)手段にも(ex.「事業者としての要件充足」)なりうる。「NPO」であることにこだわりをもつ事業者ばかりではない。