泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

論集

 大学院の論集が数日前に届いた。査読もない論集なので仕方ないのかもしれないが、中身を見て少し失望。
 社会福祉系の論文一般に言えることだけれど、多くの院生が著名*1な研究者が用いた理論や概念に振り回されている。先行研究のレビューが重要なのは言うまでもないが、大切なのは何のためにレビューするか、である。その目的が「単なる大先生への気遣い」や「言いたいことを言うための権威づけ」に偏ってしまった結果として、
・さまざまな研究者による概念定義をレビューすることに大半の紙幅をとられ、言いたいことをほとんど言えずに終わる。
 あるいは、
・特定の研究者による理論・概念を無批判に濫用して、前提を共有しない読者を完全に無視する*2
 さらにひどくなると、
・異なる理論枠組みに基づく概念を折衷して用い、もはや意味不明。
 先行研究を踏まえたいというならば、「社会福祉学」「社会福祉研究」の文献ばかり読むのではなく、この学問領域が成立する根拠を問い直してからにしてはどうか。さもなくば、以下のような皮肉を言われることになる。

 また、社会福祉学は学際的な科学だといわれる。そこでは社会学の概念や理論がつかわれている。そのかぎりでは、社会福祉学にたいして連字符社会学としての福祉社会学は共通する性格をもっている。ただし、社会学史において、連字符社会学理論社会学、一般社会学があって、それとの関連において成立すると考えられてきた。(中略)社会福祉学理論社会学、全体社会の理論ぬきの福祉社会学ということになろうか。これが、おそらく、一部の優秀な社会福祉学者たちを過度にラディカルな社会思想に走らせているのだろう。
(副田義也「福祉社会学の課題と方法」『福祉社会学研究』Ⅰ、23ページより)

*1:あくまでも「社会福祉研究業界で」の話。

*2:これはいつでも問題になるわけでもないが、社会福祉研究においてある程度抽象度・複雑度が高い理論や大先生の理論は、批判にあまりさらされない。こうした理論の多くは、諸科学の成果を部分的に拝借してできあがったものだということに気づくための学習が必要と思う。おそらく社会福祉研究におけるシステム論の理解なんて、社会学者が聞いたら驚きの水準のはず。