泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

プチ講演

 ひさびさに「親の会」の保護者たくさんの前で話す。父親の姿もちらほら。
 5年前ぐらいよりも遥かに話をするのが難しくなった気がする。
 制度化が特定の部分においては進み、保護者のライフスタイルが多様になり、サービスの使われ方もさまざまになった。もはや全ての親に共有されている前提というものが、ない。
 「もっと支援を使ったほうがいい」親子もいれば、「ちょっと使い方に問題がないか」と思える親もいる。さまざまな親たちが混在している中で何を話せばよいか。どちらかに焦点をあてれば、どちらかに誤ったメッセージが伝わりかねない。
 ひとまず自分にできることは「サービスの利用量に関して、どのぐらいの支援が必要かを客観的に測ることなどできない。安易に『使いすぎだ』などとは言いたくない。だからこそ、事業所と家族のコミュニケーションが大事となるわけで、それぞれの生活状況についてたくさん話を聞かせてください」と言うぐらいだった。これすら、どんなふうに受け止められるかをあれこれ想像すると、少し背筋が寒くなりもする。当初はもうちょっと厳しい話もするつもりだったが、レジュメを見た他職員から内容をもっとマイルドにするように求められて、こんな話に。
 親どうしの結びつきの重要さとか、行政とのつきあい方とか、学生ボランティアとの関わり方に求めるものとかについても一通りの話はできたので、あとは正しく理解されたことを祈るのみ。
 大学や専門学校で「障害者福祉」を教えている人たちは、「当事者」を前にしたら、どんな話をするのだろう。「それは違う」とか「自分には当てはまらない」とかたくさん言われて、学生や支援者相手よりもずっと難しいに違いない。その難しさに直面しないことで、専門職教育は成り立っているようにも思う。必ず教えられるであろう「個別化」は、その意味において教育の「逃げ道」かもしれない。