泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

次のステージへ

今さらだけれど、はてなブログに移行した。

もともと障害をもつ子どもや家族のことばかり書いてきて、もう書きたいことはそんなにないというか、同じようなことを何度も書くのは好きじゃない、と思っていた。

けれども、子どもたちと関わる施策の状況は変わっていくし、また新しい課題も生まれてくる。

最近は「障害福祉」の外側で仕事をすることが増えた。貧困、虐待、DV、離婚、死別、非行、不登校。人が生きていく上での課題とは、どんどん積み重なっていくもので、弱り目に祟り目とはよく言ったものだ、と思う。

ずっと「障害」や「家族」と関わってきたことが、ここに来て役立っている。「障害児」への支援環境はこの5年ほどで一変してしまい、虚しさを感じることも多かった。それでも、地域の中で地道に長くやってきた意義はあった。

そんな話も含めて、もっと世間に知られていいと思えることがあり、また書きたいと思ったとき、はてなダイアリーは少しだけ画面が読みづらいように感じてしまったのだ。

facebooktwitterに比べて、ブログは人気記事にでもならなければ、誰がどのように読んでいるのかわからずに、執筆意欲を失う。次の更新はいつになるかわからないけれど、個人的な愚痴ではなく、公益性のあるものを書けるように頑張りたい。

また、よろしくお願いします。

苦しい

 しばらくこんな更新はせずに来たけれど。読んでいる人も少ないだろう。
 苦しい。つらい。窮状に拍車がかかるばかりの半年。
 とどめをさされた。これから年度末にかけて、また何かある可能性だってある。
 どれほど苦しくとも対応しなければならない。決して逃れることはできない。それが自分の立場。
 眠れる精神状態にない。いつか限界が来て、眠るのだろう。そのときにはもう目が覚めなければよい、と思う。

「放課後バブル」のゆくえ

 業界が少しだけざわついているようなので、およそ半年ぶりのブログ更新。

障害児預かり、運営厳格化へ 全国8400カ所、不正防止で
https://this.kiji.is/189297838486110214

放課後デイ運営厳格化 厚労省方針、不正防止図る
http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=309159&comment_sub_id=0&category_id=256

 いちおう非関係者にもわかるように説明すると「放課後に障害児を預かる(「療育」する?)事業の報酬単価をがーんと上げたら、営利企業の参入が急増。「儲かりまっせ」というコンサルまで登場。保護者はどんどん子どもを預けるようになり、給付費はぐんぐん増大。やばい、もっと厳しくしていこう」ということである。

 記事にあるような不正は実際に指摘されているのだけれど、多くの不正は「いない人間が書類上はいることになっている」「やっていない支援が書類上やったことになっている」ことで給付費が請求されてしまうのだから、事業所の設立要件を高めたところで大した解決にはならない。もちろん、そんなことは国だってわかっている。

 これは増大する給付費を抑制するためのひとつの方法であり、「抑制しようと頑張っている」ことのアピールとして見るべきだろう。次の報酬改定は30年度だから、単価をすぐには変えられない。資格や従業歴の要件を厳しくするくらいならば、システムの大きな変更は必要がなく、すぐにできる。内容によっては、各都道府県に「変えたよ」と通知するだけで済む。

 もっとも、その程度のことに大きな効果を見込んでいるとも思えない。「パフォーマンス」という言葉さえ浮かぶ

 給付費について、国が2分の1を負担してくれるとはいえ、地方自治体の予算もどんどん膨れ上がっている。運営実態調査によれば、収支差率は他の障害福祉事業と比べても、高い。財務省からも睨まれているだろうし、厚生労働省の内部でだって予算の奪い合いはあるだろう。国会議員の目もある。だから「努力」を見せておかねばならない。

 国はこれまでにも基本報酬を下げて有資格者の配置に加算をつける形にしたり、運営のガイドラインを作成したりもしてきた。障害福祉の中でも「障害児支援の強化」は積年の課題だったわけで、ようやく社会資源を増やせた放課後等デイサービスという事業を「守る」ためにも「適正化」しなければならないわけである。

 27年度の報酬改定でぐんと単価が落とされてもおかしくなかった。障害児支援はもともとが脆弱だっただけに、「あと3年」と猶予をくれたのだろう、と思っている。また、抑制のタイミングを誤ると、「このご時世に『子育て支援』を削った」という評価にもなりかねない。その後、さらに事業所数は増え続けていて、利用する側にとってみれば選択肢は増えた。不正のニュースもたくさん流れた。国としては「そろそろ梯子を外しても社会的に非難されない」という時期だ。ひとたび立ち上がった事業所は、簡単に無くなりはしない。もちろん、そこにつけこまれている、とも言える。が、長くこの業界にいる者にとっては想定内。あとは、今後の「下げ方」「下げ幅」の問題。

 おそらく経過措置が設けられるので、いま仕事をしている無資格者がすぐに首を切られるようなことにはならないだろうし、保育士ほどではない資格要件や研修要件が含まれてくる可能性もある(もともと「児童指導員」とか含んでいるけれど)。管理責任者の要件についても同様。そもそも「障害児支援のスキルを担保するような公的資格」が存在しないのだから、人員に関する要件は厳しくしづらい。

 行政による実地指導(俗に「監査」と呼ばれる、厳密には意味が違う)は、事業所の適正運営について一定のプレッシャーにはなる。が、実地指導の主体は都道府県であり、日常的に支援の中身なんて知る機会はない。支援の質を評価できるような人材もほとんどいないだろう。利用者や内部からタレコミがあるくらいにタチが悪い不正請求しか防げない。

 給付費の「適正化」のために、ひとまずは今回の「運営厳格化」で時間稼ぎをしながら、「30年の報酬改定」でどのように手を入れるか。この予測は難しい。正直言って、どんな形がよいのか、自分にもよくわからない。何を報酬上で評価するのか。「客観化」できるものでしか、報酬に区別はつけられない。支援の必要度? 従業者の資格? 子どもの利用時間? すでに多くの事業所が多様な形での事業所運営をしているだけに、穏当な落としどころが見つけられるのかどうか。現場で多様な事業所を見聞きする自分ですら良い案が浮かばないのだから、きっと厚労省としても頭が痛いところだろう。

 供給サイドの質が責められやすいが、これからは利用サイドに目が向けられるかもしれない。給付抑制をかける立場から、大っぴらには説明されないだろうが。静かに。

 家にいても何かと目が離せない子どもを預かってくれるのだから、放課後等デイをどんどん保護者が利用したがるのは当然だ。わが子と同世代の子どもたちが、放課後を学童保育や部活や習い事で過ごしている。それがこの国の自然な「放課後」のあり方であるならば、「障害児」だけが否定的なまなざしを向けられる理由はない。「おにいちゃんは週6日部活で、夜まで帰ってこない」のだから、「障害をもつ弟だって週6日どこかで過ごしたってよいではないか」と。

 一方で、「子どもを放課後等デイに毎日預けたいが、理由がないと支給決定をしてもらえないので、働く」「子どもと関わるのがしんどいので、週5日預かってほしい」という保護者が増え、それらを「上客」として喜んで受け入れる事業所が増えてくると、いびつさを感じる。それは「子ども」自身の望んでいることなのかどうか。「子どもとの関わり方がわからない」と言う保護者に必要なのは「放課後等デイ」なのか。「預ける」「預かる」以外の選択肢がまず検討されるべき場面で「放課後等デイ」が安易に選ばれてしまってはいないか。これらはまっとうな問題意識だ。

 放課後等デイを利用するには、相談支援事業者等といっしょに「サービス利用計画」を立てる(そして、行政から支給決定を受ける)ことが前提になっているのだから、そのプロセスで支援の内容が吟味されるべき、とも言える。ただ、これを強調すると、今度は相談支援事業者が「給付抑制のための番人」にされてしまうおそれもあるので、つらいところ。また、相談支援と放課後等デイが同一の事業者ならば、どうしても利用計画はお手盛りになるし、計画は自分で立てることも認められているので(「セルフプラン」)、抜け道は多い。

 すべての親子にとって必要な支援をゼロから丁寧に考えたうえで支給決定されるような状況を、今のシステムには期待できない。こうして、支給を「適正化」するには報酬を下げることが最も簡単だ、という結論に至っていくわけである。

 ちなみに我が地元では、この放課後等デイの給付費増大もあって、別の市町村事業について報酬改定が検討されており、マンツーマンの支援を必要とする事業について行政が最低賃金を割る単価を提示して「もう反論は受け付けない」と開き直る異常事態となっている。ちなみに、ここでも表立っての理由づけは「不正受給の防止」であった。給付抑制は、いつも「不正防止」を掲げてなされる。保護者へのお願い。相手がたとえ世話になっている事業所であっても、実際に提供されていないと思われる実績記録には印鑑を押さないように気をつけてほしい。結果的に、皆が足を引っ張られることになる。

「障害者」のリアリティをもって抗いたい

 相模原の入所施設で凄惨な事件が起きた。障害者支援をしてきた者(かつ事業所の経営者)として、考えさせられることが多すぎて、2日のあいだ(職場の中でさえも)コメントできずにいた。
 今回、亡くなられた方たちは性別と年齢のみが報じられている。このことについて、朝日新聞のヨーロッパ特派員によるツイートが強く批判されているのを見て、自分たちにとっての課題を少し記しておきたい、と思った*1

神奈川県警「現場が障害者の入所する施設で、氏名の非公表を求める遺族からの強い要望があった」→匿名発表だと、被害者の人となりや人生を関係者に取材して事件の重さを伝えようという記者の試みが難しくなります。
https://twitter.com/shiho_watanabe/status/758178708859527168

 これまで犯罪被害者の遺族に対する執拗な取材が、悲しみに暮れる人々に追い討ちをかけたり、誰のための何のための報道であるのかに強い疑念を抱かせたりしてきたことの結果であるのだろうと思う。
 自分はもともと被害者どころか加害者の実名報道にさえも否定的な立場である。起きた現実を正しく伝えるのに名前は関係ない。実名を公にすれば、ただ「伝える」ことにとどまらない社会的機能を持つことになる。その功罪については慎重な判断が求められるし、誰よりも被害者遺族の意向は尊重されなければならない。
 その上で、障害をもつ人たちの支援をしてきた者として、ひとつだけ、思う。これを機にして被害者、家族、支援者の「前向きな生きざま」は十分に世間から想像されるのだろうか、と。
 匿名掲示板やSNSで、犯人と同じような思想の持ち主を探すことはそれほど難しくはない。また「優れた生」とか「育てやすい生」を選別することに、消極的にでも賛同する人たちはたくさんいる。
 障害者が生きること、障害者を育てること、障害者を支援することは大変だ、と言うのは、当事者に寄り添おうとする人たちの理解である。こうした人々が社会の中に増えることで、障害者や家族を支えなければならないという規範も制度も生まれるし、福祉従事者の待遇改善が社会的に叫ばれることにもなる。
 今回の事件について第一報があったときも、介護労働のストレスや夜間の人員配置の厳しさなどが事件の背景として指摘された。毎日新聞の社説で野沢和弘さんが書かれていたとおり(野沢さんは障害者の父親でもある)、この15年ほどでずいぶん障害者支援の制度は拡充されたものの、もちろん社会的な不備は依然として山のように残っている。これで十分だなんて、誰も言わない。
 けれども、被害に関わった人々を想うとき、「生きることに必死だった障害者」「障害者を育てる困難から施設に預けた家族」「その障害者を厳しい労働条件のもとで支えてきた労働者」という理解を中心にすれば、ここでは結果的に犯人が伝えようとしたメッセージに加担してしまうことにもなりかねない。
 「殺すのは許せない」けれども「重度障害者が生きるのは確かに苦難だ」「障害者が楽しく生きられるなんて、きれいごとだ」と。犯人は「安楽死」も主張していたと報じられているが、障害者や家族の人生にはただ苦難だけしかない、と偏れば、犯人の主張に接近していくことにもなるだろう。それは多くの人々が望んでいることでもないはずだ。
 「障害」に伴う困難は、たとえ重複障害であったとしても人間のすべてを覆いつくすわけではなく、解消不可能なわけでもない。多くの人たちから支援を受けて、社会のあたたかさを感じながら(しばしば裏切られながら)みんな喜びも悲しみも経験していく。絶望を経由して得られた夢や希望だってある(もちろん本人と家族とでは違いがあるだろうけれど)。
 そうした自己の表現がわかりにくい人はたくさんいて、誤解は招きやすいかもしれないし、犯人にも全く理解はされていなかっただろう。人間の尊厳とはそのような理屈以前に目の前の命から感受されるものであると思うけれど、それが過剰な期待であるとしたら、障害者の生にある多様な側面について、もっと知られるための努力が試みられなければならないのかもしれない。障害者の生のリアリティを丸ごと伝える、ということである。
 施設入所中心の時代から、重度障害者であっても地域にあるグループホームでの生活(さらには一人暮らし)へと移っていこうとする時代にあって、施設入所者が被害にあった事件であるということは、家族や関係者からの発信をきっと難しくする。それゆえに今後、障害をもつ人たちの生きざまがどんなふうに伝えられて、静かに浸透する「優生」の潮流にどう作用していくのか、が気にかかる。
 報道は「悲劇」を伝えるのを得意としても、障害をもちながら穏やかに進んでいく当たり前の日常はなかなか伝えてくれない(そもそもそこにはニュース性がない)。いまを生きる障害者のリアリティを過不足なく伝えられるのは誰だろうか。自分たちのような支援者にも責任があるというか、できることはあるだろう。「障害福祉サービス」従業者として、ただ直接支援を続けるだけでも、障害をもつ人たちの困難を伝えるのでもなく、喜びも悲しみもみんなある生活を丸ごと世間に伝えていくこと。また仕事が増えた。

*1:ちなみに厚生労働省からは、事件を受けて社会福祉施設向けの事務連絡(注意喚起)が出されている。内容は、入所者の安全を確保すべく「1.日中及び夜間における施設の管理・防犯体制、職員間の連絡体制を含めた緊急時の対応体制を適切に構築するとともに、夜間等における施錠などの防犯措置を徹底すること。2.日頃から警察等関係機関との協力・連携体制の構築に努め、有事の際には迅速な通報体制を構築すること。3.地域に開かれた施設運営を行うことは、地域住民との連携協力の下、不審者の発見等防犯体制の強化にもつながることから、入所者等の家族やボランティア、地域住民などとの連携体制の強化に努めること。」

参院選マニフェスト比較2016(障害者分野)

 さて、すっかりブログをほったらかしにしてしまっているのですが、参議院選挙前なので、これだけはやっておこうと思います。「障害者分野」限定のマニフェスト比較です。
 ちなみに過去の選挙におけるマニフェスト比較はこちら(衆院選2014参院選2013衆院選2012参院選2010)をご覧ください。各政党の主張がどう変化してきたのか、を知ることも有意義です。
 社会保障や教育・保育施策全般はもちろん、経済だって安全保障だって憲法だって「障害者」に関連がないとは言えません。特に「障害」と書かれた部分を抜き出しているだけですので、その点はご理解ください。

自民党

選挙公約2016
https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/manifest/2016sanin2016-06-22.pdf

■持続可能な社会保障制度の確立
・障害者が自らの望む地域生活を営むことができるよう、「生活」と「就労」に対する支援を一層充実します。
・65歳に至るまで長期間にわたり障害福祉サービスを利用していた低所得の高齢障害者に対し、介護保険サービスの利用者負担を軽減します。
・医療的ケアを必要とする障害児が地域で必要な支援を受けられるようにします。
・重度の障害等のために外出が著しく困難な障害児を支援するため、居宅を訪問して発達支援を行うサービスを創設します。
■未来を築く教育
・いじめや不登校発達障害等への対応力を強化するために、教員の能力をさらに高めるとともに、スクールカウンセラー特別支援教育支援員の配置拡充に取り組みます。

 平成30年に予定されている総合支援法の見直しを意識した内容と言ってよいのではないかと思います。個別に列挙された事項は、昨年12月に出された社会保障審議会障害者部会の報告書(参照)にもある内容です。重度障害児のための居宅訪問型の発達支援については、5月に法改正が終えられているため、ほっておいても公約は実現します(平成30年施行)。今回の選挙にあたって独自色と呼べるようなものはありません。過去の公約を見ても、与党はだいたいこんなものです。
 社保審による報告書の論点が他にもある中で、あえて介護保険との関連に触れているところには、単なる利用者負担の問題にとどまらず「統合論」への布石を感じたりもします。医療的ケアについては、現場からのアクションが政治家の関心をうまく高められているよなあ、という印象を改めて感じました。


民進党

国民との約束
https://www.minshin.or.jp/election2016/yakusoku

■02. チルドレン・ファースト 子ども第一
4 保育・医療等の自己負担を軽減します
医療・介護・保育・障害福祉にかかる自己負担を一度に背負えば、生活は立ち行かなくなります。自己負担の合計額に上限を設け、安心してサービスが受けられる「総合合算制度」を創設します。不妊治療の公費負担、相談・支援体制を拡充します。

 ウェブサイトに書かれた「国民との約束」に「障害」を単独で取り上げた項目はありませんでした。民主党時代からボリュームは少なかったのですが、どうしちゃったのでしょうか。そもそも「国民との約束」のPDF版がどこを探しても見つかりません(6/27現在)。
 「国民との約束」とは別に「政策集2016」があったので、そちらを確認すると、そちらにはありました。この「政策集」を参院選マニフェストとして読み替えてよいのかどうかはわかりませんが、発行が6月ですし、そう解釈してほしいのではないかと。ならば、「概要」「詳細」と区別させてほしいです。後になって「こっちは選挙公約じゃない」と言われても困りますし。いちおうご紹介します。

民進党政策集2016
https://www.minshin.or.jp/election2016/policies

障がい者対策
・2009年以降、旧民主党が主導してきた障害者の権利に関する条約の批准のための一連の障がい者制度改革の成果を踏まえながら、2014年1月に批准した同条約を誠実に履行するために条約の規定に基づいて、障がいのある人のニーズを踏まえ、障がい者施策を着実に進めます。
・障がいのある人のニーズを踏まえ、障害種別や程度、年齢、性別を問わず、難病患者も含めて、家族介護だけに頼らずに、障がいのない人とともに、安心して地域で自立した生活ができるよう、仕組みづくりや基盤整備、人材育成に取り組みます。精神疾患による患者やその家族への支援を充実します。また、改正された障害者総合支援法の附則を踏まえ、常時介護を要する障がい者等に対する支援、障がい者等の移動や就労の支援、障害福祉サービスの在り方、障害程度区分の認定を含めた支給決定の在り方、意思疎通を図ることに支障がある障がい者等に対する支援の在り方等のうち、積み残された課題について検討します。政策の推進にあたっては、当事者の声に引き続き耳を傾け、ともに議論しながら進めます。
・障がいの有無によって分け隔てられることなく、障がいのある人もない人もともに生きる共生社会を実現するため、旧民主党が主導してきた障害者差別解消法の成立を踏まえ、その実効性ある運用をめざします。
障害福祉従事者の賃金を他産業並みに引き上げることを目標とし、第1段階として、民進党議員立法である「介護・障害福祉従事者の人材確保に関する特別措置法案」を早期に成立させ、月額1万円の引き上げを実現します。
地方自治体における障がい者雇用配慮型の総合入札方式の拡大を進めるなど、さらなる障害者雇用の拡充を図ります。福祉と農の連携をはじめ、既存の発想にとらわれない障がい者への新たな社会参加・就労機会を提供します。また、障がい者のスポーツや余暇活動に対する支援の充実に努めます。
・共生社会の創造に向けた地域住民・NPOの活動に対する支援をより拡充するとともに、それらを通じて障がいの軽重にかかわらず、健常者とできる限り同等に社会に参画する選択肢を増やしていきます。
・改正発達障害者支援法に基づき、発達障がい者に対して切れ目のない支援が行われるよう、発達障がいの疑いのある児童の保護者への支援、教育における配慮、関係機関と民間団体の間での支援に資する情報の共有、就労の支援、地域での生活支援、権利利益の擁護、司法手続における配慮、発達障がい者の家族等への支援等を着実に進めます。
・希望する子どもたちが障がいの有無などに関わらず、同じ場でともに学ぶことを追求します。個別の教育ニーズのある子どもに対し、適切な指導と必要な支援を提供できるインクルーシブ(ともに生きともに学ぶ)教育を実現します。

 こちらは総論的でボリュームがあります。従事者の賃金引上げには昔から熱心で、前回衆院選マニフェストから引き継がれた論点です。なお、インクルーシブ教育は民主党時代にマニフェストで強調されたことがありませんでした。障害者権利条約などを踏まえたものと思われます。権利条約や差別解消法は自分たちが頑張ってきた結果だぞ、とアピール。「家族介護だけに頼らず」とか「当事者の声」とかの文言に精いっぱいのプライドを感じるものの、「総合支援法改正の附則を踏まえ」としか書けないところに悲哀も感じます。自立支援法を天下の悪法と叩きながら、当事者からの意見を丁寧に集約しつつ、ほとんど何も変えることができずに成立させた総合支援法。強く否定などできるはずもありません。


公明党
https://www.komei.or.jp/policy/policy/pdf/manifesto2016.pdf

1−8.科学技術・文化芸術・スポーツ
・(パラリンピック)東京大会を契機として障がい者への理解が一層進み、障害者が身近な地域においてスポーツに親しむことができる社会の実現に向けて、障がい児・者のスポーツ活動の推進、障がい者スポーツに対する理解促進、障がい者スポーツの推進体制の整備等の取り組みを強化します。
・東京大会の成功に向けてスポーツを通じた取り組みだけでなく、障がい者芸術を含む文化プログラム・日本遺産・ホストタウンを推進します。

2−8 障がい者の活躍
障がい者が安心して地域生活を送ることができるよう、グループホーム等の整備を進め、農福連携やテレワークなどの就労支援及び定着支援に取り組むとともに、発達障がい児・者の地域支援体制を強化します。
・発達障がいも含めた障がいのある子どもが早期から継続的に適切な教育や必要な支援を受けられるよう、各地域で教育・医療・福祉・就労等の関係部局、機関が連携し、発達障がいなどの早期発見・早期療育支援、保育・学校教育・社会教育・就労等を通じた情報の適切な共有・引き継ぎ等、乳幼児期から就労期まで一貫した支援の仕組みづくりを推進します。
・障がい児が幼児期から身近な子ども子育て施設を利用できるよう推進するとともに、ライフステージに応じて、能力、特性を踏まえた専門的で十分な教育を受けられるよう、特別支援教育を担当する教員をはじめ、すべての教職員の資質能力、専門性の向上を促進します。一人ひとりのニーズに応じた連続性のある多様な学びの場の整備、通級指導の拡充や特別支援教育コーディネーターの専任化のための教職員定数の改善、高校での通級指導の制度化及び体制整備、個別の教育支援計画及び個別の指導計画の義務化の検討、特別支援教育支援員の配置促進など、障がいのある子と障がいのない子が共に学ぶことをめざすインクルーシブ教育の支援体制を整備します。
・学習に困難を抱えている子どもたちの学びを支援するため、デイジー教科書などのデジタル教材等を支給する仕組みを制度化するとともに、ICTの積極的な活用を推進します。
・障がいがあっても大学等の高等教育機関において質の高い教育を受けることは重要であり、各地域において中心となる大学を選定し、財政支援を拡充し、障がいのある学生の修学・就職支援のための当該地域における「センター」の形成を推進します。
・新生児聴覚スクリーニングにより、聴覚障がいのある子どもを早期に適切な治療や療育につなげる体制を整備します。
2−9 人権、性的マイノリティーの支援
成年後見制度が、必要とする方に十分利用されていない状況を改善するため、公明党主導で成立した成年後見二法に基づく施策を着実に実施し、ノーマライゼーション、自己決定権の尊重などの成年後見制度の理念を踏まえつつ、制度の改善、権利制限(欠格条項)の撤廃、人材の育成、不正防止対策などを進めることにより、成年後見制度の適切な利用を促進します。

3−1 保育や介護従事者の賃金引き上げなど処遇改善、キャリアアップ支援
・保育士・介護福祉士など介護従事者・障害福祉サービス等の従事者といった今後の福祉人材の確保のため、待遇改善や専門性の確保など総合的な取り組みを進めます。

3−5 地域包括ケアシステムの構築
高齢、障がい、児童等の対象者ごとに充実させてきた福祉サービスについて、多様化・複合化する地域のニーズに対応するため地域共生型の福祉サービスが必要となっており、それぞれの地域の実情を踏まえた地域包括型の支援体制の整備を進めます。

3−7 難病対策の推進
・医療費助成の対象を大幅に拡大した難病関連二法(難病医療法、改正児童福祉法)に基づく「基本方針」を踏まえ、さらなる指定難病の対象拡大、医療提供体制の構築、効果的な治療法の研究開発、相談・就労支援、子どもの自立支援事業など、難病対策を強力に推進します。
・「軽度外傷性脳損傷」「線維筋痛症」など国民から新たな「疾病」として確立の要請が強い病態への対策を総合的に進めます。

 いつも独特の内容が含まれては消えていく公明党。前回マニフェストにあった「手話言語法」制定や「司法ソーシャルワーク」「発達障害支援アドバイザー」などの文言が無くなったものの、発達障害特別支援教育成年後見制度あたりへの関心の高さは引き続き感じられます。特別支援教育コーディネーターの専任化は教育再生実行会議の第九次提言(今年5月)にも載っていますが、指導計画や教育支援計画の義務化や大学進学などの提案は、よく隙間を突いています。「地域包括型の支援体制」は様々な解釈ができそうで、評価に悩むところです。


共産党
参議院選挙公約2016全文パンフレット
http://www.jcp.or.jp/web_download/2016-sanin-seisaku-zen-s.pdf

第2のチェンジ―税金の使い方を変える
社会保障、子育て、若者に優先して税金を使う
─障害者・児の福祉・医療の「応益負担」を撤廃し、無料化をすすめます。

「あれ、これだけ?」…のはずがありません。共産党のサイトには「各分野の政策」が62項目掲げられており、その中には「障害者」関連の言及が膨大にあります。これもいつものことです。コピペするにも多すぎるので、下にリンクしたサイトを各自でご確認ください。共産党ならばこういう内容かな、と想像されるかもしれません。それでだいたいあっています。

各分野の政策
http://www.jcp.or.jp/web_policy/html/2016-sanin-seisaku.html#_2016bunya


おおさか維新
2016参院選マニフェスト
https://o-ishin.jp/election/sangiin2016/pdf/manifest_detail.pdf

社会保障制度改革
・ICT技術を活用し、障がい者(チャレンジド)の自立と社会参画を促進する。在宅での業務遂行を普及するなど、障がい者を納税者に。

前回選挙ではじめて「障害者」が登場したと思ったら、「障害者を納税者に。就労支援を促進する」の一文だけで、余すところなく自分たちの社会観を表してくれていました。今回はなぜか「障害者」を「障がい者」と表記変更。そしてわざわざ「チャレンジド」。ICT技術の活用も含めて、大阪らしく竹中ナミさんをリスペクトしているのでしょうか。確かに主張には親和性がありそうです。想定されている障害者の範囲がいっそう透けて見えるようになってきました。


社民党
選挙公約2016ダイジェスト版
http://media.wix.com/ugd/354569_8c4001c6bba44c26ba79b221e58b5040.pdf

安心の年金、医療、介護、福祉を
12 障がい者差別をなくすために、「合理的配慮の提供義務」をまず公的機関に徹底し、共に生きる社会をつくります。障がい者の働く場を拡大します。障がい者の所得保障に取り組みます。

 前回と同様に少な目の記述となり、公明党と同じく「手話言語法」の記述がなくなりました。地方自治体レベルではこの数年でかなり広がりを見せてきたようなので(参照)、その影響もあるのでしょうか。合理的配慮の提供義務が公的機関に徹底されるのは差別解消法の通りなので、マニフェストとしては未来に向けてもう一歩踏み込んでほしかったです。

…と、思っていたら「総合版」というのがありました。

選挙公約2016総合版
http://www.sdpelection.com/#!blank-5/c7n1n

2−4
障がい者差別禁止と合理的配慮の提供義務化に加え、2018年度から精神障がい者が雇用義務制度の対象となります。これら踏まえ、障がい者の就労支援の拡充・職域の拡大をはかります。
3−6
〇視覚障がい者や低視力の高齢者等に読書や情報入手の権利を保護するため、図書館等の公共施設を拠点に、読み書きを支援(代読・代筆)する公的サービスを広げます。

精神障害者の雇用義務を踏まえた就労支援の拡充や代読・代筆など、こちらには個性が強く出ていました。


生活の党と山本太郎となかまたち
http://www.seikatsu1.jp/wp-content/uploads/2016manifest.pdf

言及なし

生活の中に障害者の生活は含まれておらず、なかまたちのなかにも障害者は含まれていなかったようです。残念です。


日本のこころを大切にする党
https://nippon-kokoro.jp/news/policies/28.php

そもそもマニフェストにあたるものがどれなのかよくわからず、「政策実例」として掲載されているものが該当すると仮定しました。

その中には言及がないように見えますが、強いていえば、次の部分でしょうか。

6−(6)介護に携わる人全体の待遇を改善し、被介護者、介護者と地域社会による温かい、つながりの場を育てる。

 なんだかよくわかりませんでした。

(6/28追記)
コメント欄で情報いただきました。こちらのようです。
選挙公約
https://nippon-kokoro.jp/election/san2016/promise/
内容はいっしょですね。


新党改革
http://shintokaikaku.jp/web/wp-content/uploads/2016/06/2016yakusoku.pdf

障がい者の皆さん
 私たちは、障がい者・障がい児の皆さんと共に豊かさを感じられる社会をつくってゆきたいと考えます。

 お、おう…。急に呼びかけられてびっくりしました。そうですか。


幸福実現党
http://hr-party.jp/policy/

社会活動支援
障害を持つ人が幅広く社会参加できるよう支援し、社会に貢献する生きがいと、税金を納められる喜びを感じられる国を目指します。

 確認したところ、2013年の参院選マニフェストと一字一句違わない文章でした。3年の間に何も新しく考えたことはなかったようです。


国民怒りの声
http://kokumin-no-koe.com/wp/wp-content/uploads/2016/06/kihonseisaku-1.pdf

言及なし

 この規模と歴史の政党に期待するのは酷かもしれませんが、「国民」と名乗るのであれば、頑張ってほしいところです。


支持政党なし
http://xn--68jubz91pp0oypc1c.com/riyuu.html

政策なし

 障害者についての記述が無いとかいう話ではなく、「政策なし」なのだそうです(その理由にもし関心があれば、サイトをご覧ください)。紹介するのもバカバカしい気がするのですが、「支持政党なし」という名の政党があることを啓蒙しておかないと、本当に投票者が続出しそうな気がするので。

 以上です。全体を見ると、各政党とも大きくカラーを変えることはなかったように思います。なんというか野党はもうちょっと野党らしさが出てもよいのではないでしょうか。与党と大差ない中身か、バリバリ働いて納税する障害者大好きか、共産党か、全く興味なしかでは、やや選択肢に欠ける気がします。このような現状を障害福祉施策の成熟と見るか、硬直と見るか。
 有権者全体から見れば、マイナーな興味関心でしょうが、関係者であっても全部のマニフェストに目を通すのはなかなか大変でしょう。投票行動のお役に立てていただければ幸いです。

支援における「ズルさ」

・外出の支援というのは、(1)屋外での行動に支援が必要である場合と(2)屋外での単独行動に本人が不安を抱えている場合とに大きく分類できると思っていたが、もうひとつあった。(3)外出支援を使わないと出不精で家にこもってしまう場合だ。

・その(1)(2)(3)を順にこなした三日間。(2)はほぼ見守りであり、(3)は家を出た時点で、もうヘルパーとしてほとんど役割を終えている。そこから長時間になると、なかなか忍耐がいる。

・いろいろ創意工夫ができるのはやはり通所系の支援だと思える。場があるのは大きい。大人の余暇を広げていくにも、通所を拠点に考えたほうがイメージしやすいのではないか。しかし、自分の立場では無いものねだりにしかならない。

ダブルチーズバーガーのセットって、牛丼特盛と同じくらいのカロリーなのか…。罪深い商品だなあ。

・知的障害+自閉症の彼。自分で決めてもらえば、外食はどこでもマクドナルド一択になる。はじめっから頭にはマクドナルドの特定のメニューしかない。同じような人は他にもたくさんいる。「マクドナルドはダメ」と言えば「従う」人もいるだろうが、なぜダメなのか。正当な理由はない。「外食の幅を広げたい」は目標になりうるだろう。でも、一方的に選択肢を制限するような方法を正当化はしない。

・ここで都合よく集団を活用したくなる。みんなでここで食事をとるのだと。だから、今回はこの中から選んでくださいと。すると、なんとなく「折り合いをつけねばならないのは世の常」と納得できてしまう。納得するのは誰か。本人か。支援者か。

・生活に変化を生じさせるのに、誰かが背中を押さねばならないタイプの人がいる。自分自身もそんなタイプなので、自発にまかせていては行動がなかなか変わらないのもわかる。それでも、同じ生活者の関係性の中で違う行動を促されて変わるのと、支援者から特定の行動に制約をかけられるのは、意味が違う。

・支援者は支援者である限り、暴力性を自覚せざるをえないのかもしれない。作為的でない人対人の関係性の中であれば、誰も罪悪感を感じることなく、自然に変容を求められるのだろう。ただ、それは暴力性に無自覚なだけであるとも思う。まして、作為的に支援者がそれを活用するのは「ズルい」。

・支援において「ズルい」のは許容されるべきか否か、という問題。

・たとえ答えが出せたところで、そんなズルい方法さえもヘルパーと2人だと使えない。支援者が、支援者としての役割から一時的に離れてみせるのはありうる。たとえばヘルパーが「自分はマクドナルドで食べたくない」というわけだ。しかし、これは「介助者手足論」的に見れば、もってのほかである。関係性のあり方に議論の焦点は移る。

・足の重さがものすごいので、寝よう。ただ、考えているうちに眠気はすっかりなくなってしまった。